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「停車中は使用しないで下さい」長いトンネルの入る前に車掌から「トンネル内では作業をしていますのでトンネルを内ではトイレの使用をご遠慮願います」といわれた。さらにトイレドア横に、東京⇔✕✕間は使用しないで下さい、標示されていた。
コメントありがとうございます。昔と今とでは、『高架区間』の割合が全然違いますもんね。『高架区間』を走行中にトイレを使用すると……。沿線の皆さんはタマッタモンじゃないですもんね。(-_-;)
面白おかしく作られていますが、実は凄く考えさせられる動画ですね。
コメントありがとうございます。そのようなご評価を戴き、大変、恐縮しております。制作した定年間際のオヤジとしては、残り少ない人生を振り返って、『愚痴』をこぼしているだけです。(笑)これからも『昭和生まれの近所のジジイ』として、事あるごとに愚痴っていきますね。
そうなんです、自分も強く共感しましたです❗🥹
JRが国鉄という組織だった時代、垂れ流し式トイレ列車には「停車中は使用しないでください」という注意書きがトイレのドアに貼ってあったような記憶があります。ガタンガタンと激しい揺れに耐えながら、走行する列車のトイレでおしっこをすると、便器の穴から覗くその下に、右へ左へとスイングする銀色に輝くレール上へ、走行風に煽られ飛び散る我が小水の様子が、列車での長旅を脳裏に焼き付ける一場面だったと今でも記憶しています。
コメントありがとうございます。おやおや、これはこれは、失礼ながら、ワタクシと同世代の方とお見受けいたします。『電車の旅』の旅情を醸し出すものにも、様々なものがありました。一つは、停車駅での駅弁の立ち売りだったり…。また一つは、変な味がする車内の洗面所の水だったり…。そして、トドメは、便器の穴から覗き見る、銀色に輝くレールでした。特に、便器の穴から見えたポイント部の離合は、不規則なジョイント音と相俟って、ある意味『感動』を覚えたものです。今ではとても懐かしい『昭和の鉄道旅の風情』です。分かる方には、分かって頂けると思います。 (^_^)v
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛びトイレ内は薄暗くて、ガガン、ガガン、ゴー❗という音もスゴくて子供ながらに怖かった記憶ありますね😅
90年代中頃、当時の御殿場線用の115系は汚物処理装置未設置だった為、国府津駅の御殿場線ホームの車両トイレ付近の線路には茶色の山ができてましたね(笑)
コメントありがとうございます。その頃の御殿場線って、そんな感じだったのですか……。私も昔、東武鉄道と国鉄が乗入している『とある駅』で、線路のバラストの色が、各々で全く違う光景を見た記憶があります。東武鉄道のバラストは、どちらかと言えば『白っぽい灰色』で、国鉄の方のバラストは、線路のキワが『こげ茶色』でした。小学校の遠足での思い出です。
テレビで昭和を懐かしむ番組が放映していますが昭和を知る自分としては列車や公共施設のトイレ事情を考えると昭和には戻りたくありません。
コメントありがとうございます。『昭和レトロ』を売りにした観光施設やレジャースポットのトイレを、全て和式の『ボットン便所』にしたり、食堂で出す水は、カルキ臭い『水道水』、当然、夏場もエアコンなどは無く、氷の入った『冷やし中華』を顔から汗を吹き出しながら喉の奥へと流し込む。どうせやるなら、ソコまで徹底して欲しいです。(でも、これは『バツゲーム』かも?……… 昭和の生活は『バツゲーム』? )
激しく同感です‼️😉 コンビニやケータイ電話ないなんて死んじゃいますわ。まあ今より良かったのは映画やテレビ番組くらいですかね?🥴
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛びブハハハ~❗😆🤣 確かにそうかもです。けど電車は冷房なかったけど今よりも味わいあったし、映画やテレビ番組もオモロかったし、自分なんか未だウルトラセブン原理主義者名乗ってますんで❗🤩
コメ主さん、儂が幼少の頃、よく母にその件で怒られました。でも列車の揺れがねぇ。(^^;あと話は違いますが親戚の横手から湯沢に移動する時に牽引式の客車はドアが空きっぱなしで「これで大丈夫なんか?」思ってました。😅
コメントありがとうございます。ワタシも小学生の時ですが、東北本線の間々田駅近くの踏切で、ドアを開けっ放しで走っていた客車を見たことがあります。そしてそのデッキのところに、一人の物憂げな眼差しの青年がポツンと立って、流れゆく景色を眺めていた光景を、何故か今でも鮮明に覚えています。その時、まだ少年だったワタシは『アブナイ!!』という思いよりも、『なんかカッコイイ!!』と感じてしまい、『ボクも大人になったら真似してみよう!!』と、固く心に誓ったのではありますが、ワタシが大人になった頃には、そんな客車にお目にかかる機会は、もうすっかり無くなってしまいました。大人になれば、チョコレート食べて、いろんなことを考える……。と、大場久美子さんが歌ってた通り、件の青年も開けっ放しの客車のデッキで、きっといろんなことを考えていたのでしょうか?
大変おもしろく見させていただきました。開放式便所など今や一つとして残っていない(のではないか?)ですから、そんな貴重な存在を窺い知ることができ大変興味深かったです。
コメントありがとうございます。お褒めの言葉を頂きまして、大変、恐縮しております。まあ、作ってる人間が『底の浅い人間』なので、あまり大した内容の動画ではありませんが、これからもチョイチョイ、奢った過去を戒めるような、危うい未来をディスるするような、そんな『屁理屈ジジイ』の動画をUPしていきますので、お暇な時には、是非、覗いてください。
解放式便所に一番困っていたのが当の国鉄な訳で、循環式などを開発したものの欠点も多くて特急など限られた車両にしか配備できなかったということですから、財政難以前に技術的に無理だったぽいですね図書館の古い本で飛沫検証の資料を見たこともありますから感染症に無神経だったということでもないようで、無理なものは無理だったという感じ。
仰る通り『無理なものは無理』なのに、『無理矢理ヤっちゃってた』のが、正に『昭和』という時代なのかも知れませんね。集団予防接種でのB型肝炎問題や、小学校などの焼却炉で発生させていたダイオキシン問題など、今考えると、かなり恐ろしい時代でした。コメントありがとうございます。
JR東海の「リニア・鉄道館」に展示されているクハ111-1のトイレが垂れ流し式だったので恐怖のあまり身震いした事を思い出しました。
『リニア鉄道館』って、あおなみ線で行くところですよね? 以前、そっち方面に行った時に、何故か名古屋競馬場で降りてしまいました。まあ、昔、ワタクシ、さいたま市を走っているニューシャトルの『大成駅』の目の前に住んでましたが、未だに『鉄博』には行ったことが無いんです。自分でも笑っちゃうくらい変なヤツです。コメントありがとうございます。
「便器の穴から線路が見える」ありました!!子供のころ、それを見て急に出るはずもののが出なくなり、トイレから脱出した私でした。それにしても、トンネル内で作業していた保線作業員の皆さん・・・本当に頭が下がります。
コメントありがとうございます。本当に、当時の保線マンの方には『感謝』です。最近は歳とったせいか、結構ナンデモカンデモ『感謝』しています。ワタシが稼いだ金で美肌化粧品を買う妻にも『感謝』 パソコン作業中に膝に乗ってくる老猫にも『感謝』 昨夜は、テレビに出演していたドリフの加藤ちゃんにも、『ありがとう』と心の中で言っていました。(悟ったか? それとも『お迎え』が近いのか?)
人身事故の後始末よりはマシかと思いますね😓
私も子どものころ、高山本線の普通列車で、トイレに「停車中は利用しないでください」というプレートがあったのを覚えています。(車内放送でも流れる。)そして誰が書いたのか、そのプレートの横に「使用中は停車しないでください」と落書きされていたものですw【補足】JR車両では、まだ垂れ流しトイレが残っています。JR全社では「2024年度中には全廃します」といっています。まだ残っていることも衝撃ですよね
コメントありがとうございます。いや~、JRでは、まだ『垂れ流し列車』が健在なんですね? これは驚きです。しかしながら、これを『昭和レトロ』といって、懐かしむ気にはなれませんね。その前に、『和式スタイル』のトイレを目の当たりにした瞬間、今のワタシの足腰の状態では、もはや、便意も戦意も、完全に消失しちゃいます。
何線ですかソレ? かなりの地方路線でしょうかね😅
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び同じくです😁 よほど切羽詰る場合でない限り高速道路のパーキングエリアのトイレで和式は絶対入らんですわ😅
とにかく昭和の時代の鉄道のトイレは線路が見えたのは事実で今にして思えば環境面や衛生面を考えればとんでもない事をしていたんですね。今のトイレはタンク式になり環境面や衛生面は良くなりましたね。それに国鉄時代の車両のトイレは暗い臭い汚い狭くて良いイメージが全くなかったですね。今は広くて明るく綺麗になりましたね。
コメントありがとうございます。とかく現代では『感染症』に敏感なご時世ですから、旧来の国鉄トイレは、『糾弾の対象』になるかも知れませんね。在来線のトイレが新たな感染原になる…、つまり『在来線の新感染(シンカンセン)』などど言われたりして……。またまたツマラナイことを言ってしまいました。申し訳ございません。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び😆😆❗
更には駅のトイレも汚くて余程のコトない限りは利用しなかったもんでしたな😅
平成初期、18きっぷで関東から関西に向かった時、国府津と熱海にトイレ使った跡が有った。静岡の113系の一部、115系の全ては垂れ流しだった。
コメントありがとうございます。平成初期に『青春18きっぷ』ということは、私と近い年齢ですね。あの頃はJRも、まだまだ『国鉄時代』の遺産を引きずっていましたよね (まあ、今でも引きずっているトコロが散見されますが…)私はその頃、大宮に住んでいまして、『お昼前の大宮駅』にて、かなり凄惨な状況を見た経験があります。
鉄道会社「これぞ最も有効な沿線撮り鉄対策。ウチの車両のトイレは、全て『自然分散式』に変更だ!」
有機肥料を撒き散らし、撮り鉄さん達を蹴散らした後は、きっと、綺麗な花が咲きますよ。(笑) コメントありがとうございます。
私はこの方式のトイレは無縁ですが、昔いた職場の年配の人は実家暮らしの頃、千葉県の外房沿線在住で子供の頃は学校から「どんなに近道でも登下校時は線路のそばを通ってはいけません」と注意喚起されていたそうです…かかる可能性もありますが、線路沿いはやっぱり臭いもあったそうで夏場は特に暑さで臭いが嫌だったと聞いた事があります…
コメントありがとうございます。確かに『盛夏の頃』や『梅雨』の頃のジメジメとした空気が充満しているトンネルの中などの高温高湿度の環境下では、想像出来ない程の状況だったと思います。ホントにその頃の国鉄の『保線マン』の皆さんには、昭和生まれの人間として、今更ながらではありますが、感謝しています。
かつて西武鉄道では都会で収集した下肥を貨物列車として郊外へ輸送していたので、踏み切りで待っていただけでも、その飛沫を全身に浴びたと言う。
コメントありがとうございます。昔は関東地方の私鉄も、結構、貨物列車を走らせていましたよね。東武鉄道が、葛生からの石灰や、大谷からの石材を運んでいた様子は、うっすらと記憶しています。今でも秩父鉄道は『セメント』を運んでますが、あと何年かの後には、廃止されてしまうのかもしれませんね。少し、淋しい気持ちです。
西武池袋線の過去を知ってる世代が「ウンコ電車」と呼んでいたの思い出しました(笑)
コメントありがとうございます。ボディーが黄色だから『ウンコ電車』というワケじゃないんですね? 歴史的な背景を深掘りすると、色々なモノが見えてきますね。 (笑)
@@zubizuberpapa😁😁❗
昭和26年生まれです。大小便処理にはとても汚ない環境でした。定期的にバキューム車輌で屎尿汲み取り業者(行政委託)が 家の便所の汲み取り口にバキュームホースを入れて車のタンクに大小便を汲み取ってくれました。我が家は、業者さんへの手数料を(当時 1回50円)を便所の窓の枠に紐でくくって吊ってました。今の表面上衛生上綺麗で清潔な住環境も、大小便排出や下水道やゴミ処理のシステムを 潰すと地獄になる。豪雨でタワーマンションのトイレが使え無くなった、便器から大小便が洩れ 汚物が蔓延した 高級住宅地が 日本中 で 黄色に染まる。
コメントありがとうございます。人生の先輩の方から、お言葉を頂くことは、大変有難いことと感謝いたしております。何時からこの国は、『後先を考えない国』となってしまったのでしょうか?大規模停電が発生した時には、途方に暮れてしまう『オール電化の家』廃車した後に困ってしまう『電気自動車のバッテリー』ハブだけ食べると思ったらクロウサギを襲った為に、税金まで投入して駆逐された『奄美大島のマングース』そして、言わずもがなの『トイレの無いマンション』と揶揄され続けている『原子力発電』そしてそして、こんな事を言いながらも、結局はこの国で、ヌクヌクと生活している『還暦間際の私自身』が、自分でも歯痒く感じている今日この頃です。
今の列車トイレや駅のトイレは見違えるようにキレイになりましたね。昔の急行や特急のトイレのあるデッキはアンモニア臭がひどかった記憶があります。
コメントありがとうございます。ホント、今のトイレはキレイですよね。特に、駅のトイレが格段にキレイになったような気がします。関係者の方々には『感謝』です。 アリガタヤアリガタヤ…。しかしながら、一概にそうかと思えば、実は違ったりして‥‥。中京地区を走る『赤い電車』の大手私鉄の、最大ターミナル駅のトイレは、なかなか???でした。特に、下腹部から突き上げてくる『急激な便意』に襲われたワタクシが、オモムロに、駅のトイレに飛び込んだ時、目の前に『一回分60円 10円硬貨のみ』と書かれた『ティッシュぺーパーの自販機』がありました。10年くらい前の話です。その時、小銭入れの中を漁ったら、辛うじて10円玉が6枚ありましたが、もしも、それが無かったら……。今考えても、きっと恐ろしい状況が展開されたことと思われます。クワバラクワバラ……。
安中市の鉄道文化むらにもオハネ11がこのトイレのままで展示されています。車内公開で案内すると親子連れなんかは驚きますね。
コメントありがとうございます。横川の方へは何度も行ってますが、殆ど、『おぎのや』さんの『峠の釜めし』ばかり食べてました。今度、また行く機会があったら、バッチリと撮影して参ります。 (^^)v
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び母親の田舎が長野の上田なんで子供の頃よく信越本線の上野始発で行きました。その最初の時は客車列車の鈍行で列車トイレ初めて経験して怖いイメージでしたな😅 けど碓氷峠越えの長いトンネル区間の異様な雰囲気は覚えてまして、その時に買った「おぎのやの峠の釜飯」の容器は未だ捨てられずに持っております😄
そうですか😃 もしかしたら自分が子供の頃に信州出身の母親の田舎行く時に乗った車両かも知れませんね🥹
国鉄の代名詞///////////////////////////////////////////////////『停車中は使用しないで下さい』\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
コメントありがとうございます。『停車中は使用しないで下さい』の注意書きは、子供の頃から幾度も目にしていましたが、ふと、「もし用便中に停車した場合は、どうなるんだろう?」と、幼い頃に思い悩んだことがありました。小ならニョー道を、大ならケツの穴を締めればいいのでしょうが、あの頃は可能だったとしても、還暦間際の現在のワタクシの括約筋では、そのような芸当は、もはや『困難の極み』となりました。(笑)
昔、経験が有ります😭、時代は、すっかり変わりました😃。、、、
子供の頃大宮駅のホーム線路下にかなり立派なブツがありかなり衝撃でした。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び😆🤣❗
@@hayato0905y自分は上野駅停車中の169系のトイレからボトボト💩落ちるのを間近で見たコトあります😅
走行中の旧型客車のトイレはレールと枕木が見えていましたね。実家近くのローカル線の脇を流れる川に魚を捕りに行く時に線路を歩いて行ったのですが、ウンコと紙が落ちていましたね。国鉄に入社した新人さんは、最初はみんな現場作業をやらされるらしく、東海道山陽本線の寝台特急の機関車の車輪に異常が無いか停車中に軍手をはめた手で触って点検するとウンコだらけになったと聞いたことがあります。
コメントありがとうございます。布製の軍手がウンコだらけになったとすれば、絶対に、中まで浸透しちゃいますね。これはキツイですね。(それとも、軍手に下に、薄いビニール手袋をはめていたのかな? 妄想が止まりません。)昔、子供の頃に見た『バキュームカー』のオジサン達は、厚手のゴム手袋をはめていた記憶があります。そして、クルマから汲み取り口まで伸びている太いホースに乗っかっては、その中を通り抜ける『有機固形物』の感触を、足の裏全体で、感じ取って遊んでいました。昔は、ホント、生活のそばに『ウンコ』があった時代だったんですね。
垂れ流し式の普通列車のトイレには「使ってくれるな」と言わんばかりにトイレットペーパーが無かったですね。また「特急車両配置のため、電車区に下水道を引いてくれ」と来て、下水道が引かれたものの、電車区に隣接する駅のトイレがボットンのままと言うマヌケな事例もあります。
コメントありがとうございます。ワタクシ思うに、人類の歴史から考えてみれば『水洗トイレ』の歴史は、『自然回帰(ノグソ)式』や『ボットン式』に比べれば、まだまだ浅いんですよね…。今後、人間の文化が進んでいく方向性によっては、『昔はウ〇コを水で流していたなんて、ホント、信じらんな~い!!』と言われる時代が来るかも知れませんね。でも、きっとその時は、水資源が枯渇寸前の『人類の存亡の危機』を迎えている時代なのかも知れません。 (-_-;)
「停車中は使用しないでください」ってほかにも駅の放送で「列車がよく止まってからご乗車ください」ってのもありましたね
コメントありがとうございます。昭和の頃には、機関車が引っ張る客車の中には、まだまだ手動式の乗降ドアがありました。これって、走行中にも、開けることが出来ました。今考えると、かなり恐ろしいことですよね。そう言えば、昔、TDLが開業したばかりの頃に、『ホーンテッドマンション』のライドに乗ってて、最後に、ライドが止まってから降りようとして、もう少しで『2周目』に突入しそうになった記憶があります。ちなみに、『ホーンテッドマンション』はEチケットが必要でした。 (今の人には、理解不能かも・・・)
@miharu3748「列車がよく止まってから・・・・」のアナウンスと、トイレとは全く関係ないでしょう❓当時の列車には「ドア」 がなく、オープン状態だったので、列車がきちんと停車する前に、飛び乗り客や、飛び降り客が結構いたんですよ。そうした人達への注意アナウンスですよっ‼️
宇都宮線、高崎線の普通列車にも「上野~大宮はご使用をご遠慮下さい」とトイレドアに表記してありましたね
そんなことも、ありましたっけねぇ~。 でもワタクシは、【上野~小山】【上野~高崎】【上野~土浦】は《禁煙》だったというコトの方を鮮明に覚えていますよ。マイルドセブンが200円だった頃ですよ。(笑) コメントありがとうございます。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 非電化時代の川越線はボットントイレでしたね
返信 ありがとうございます。確か冬期は、ボタンを押さないと、ドアが開かなかったような記憶があります。真冬の大宮駅では、折り返し運転の為に、吹きっ晒しのホームに、結構長い時間、停車していましたからね。ある意味、ドアが開閉出来て助かりました。これに乗って、川越の『時の鐘』を見に行った事を思い出しました。昔の懐かしい記憶を呼び覚まして頂き、ありがとうございます。
東海道線にもあった、東京横浜間は使用を控えてくださいと、横須賀総武本線にはなかったが
@@尾崎憲行 横須賀総武快速線は地下区間乗り入れがあるからタンク式だと思います中央線普通列車にも使用不可区間がありそうでしたね
阪和線でもトイレの使用はできませんでした。紀勢本線新宮電化後も天王寺~和歌山間使用禁止の張り紙が張っていました。またディーゼル列車(くろしおやきのくに号)でもトイレの使用はご遠慮くださいと言う放送が流れていました。
コメントありがとうございます。阪和線ですか!? (゚o゚;)ビックリしました。今現在、正に偶然にも、メインチャンネルの【猫解電鉄(にゃんかいでんてつ)】の方で、『阪和線関連』の動画を作成中なんです。(前編・後編の2部構成です)多分、このコメントを書いた3~4日後にはUP出来ると思いますので、ご鑑賞の上、感想でも戴けましたら、大変ありがたいです。
平成になっても東海道線はボロい113系だった。ある日トイレに行きたくなってちょうどグリーン車にあったので使おうとのぞいたらウ○○がベットリついていたので使わなかった。小学校の修学旅行で乗った167系は、トイレの下から地面が見えてました…
コメントありがとうございます。私も子供の頃に、父の実家(山形県尾花沢市)に『急行おが1号』でお盆の帰省する際、当時は米沢駅で『牛肉弁当』を買って、食べるのを楽しみにしておりました。あの頃はエアコンやクーラーなどは皆無でしたから、車窓を全開にして食べていたことを思い出します。今考えると、恐ろしい話ですね。クワバラクワバラ…。
20歳まで昭和時代を過ごしたので、トイレの穴から線路が見える光景は、よく見てました!
コメントありがとうございます。ytyfiさんは、私とほぼ同じ世代の方なんですね。私も、電車のトイレから線路が見える事に関しては、『至極、当たり前』って感じで利用していたものです。多分、その頃を知らない今の若い人に、「俺は、昔、電車のトイレで、ウ〇コを垂れ流していた。」なんて話をしようものなら、きっと私自身が彼らから『ウ〇コを見るような目』で見られるハメになりそうです。(冷汗)
80年代後半、小学校の修学旅行で急行型車両の専用列車「かながわ」で横浜から日光まで行った時、事前の説明会で行きは大宮まで、帰りは大宮からトイレは使ってはいけないと言われましたが、理由は説明してくれませんでした。
コメントありがとうございます。その当時の横浜の小学校は、修学旅行の行先は日光だったんですね?…ってことは、宇都宮駅でスイッチバックして、日光線に入って行ったんでしょうね?(その頃だと、栗橋駅の【JR=東武】の渡り線も、存在しなかった頃ですもんね。)ところで、私の小学校の修学旅行は、『江ノ島・鎌倉』でした。で、宿泊先は『横浜ドリームランド』でした。
確かに鉄道のトイレは最初は汚物は線路にたれ流しと聞いてましたよ!その後タンク式に改修したようですね!🤓
コメントありがとうございます。昭和の頃は『自然回帰主義』的なモノが、まだまだ蔓延っていた時代なのかも知れませんね。『自然回帰』って、なんかカッコイイ言葉ですが、単に『自然環境依存』って感じで、その頃のこの国の人々って、母なる地球に寄生していた害虫みたいな存在だったのかも? そしてそれは今でも、大して変わらないのかも……。
そうですね。止まってるときは使用し控えるようにでしたね?
コメントありがとうございます。子供の頃、電車のトイレにしゃがんで用を足していた時、ふと、思ったことがありました。「もし、用を足している真っ最中に電車が停車したら、僕はお尻を出してしゃがんだまま、電車が走り出すまで、我慢しなきゃいけないのか?」そう考えると、出る物も出なくなりましたよ。 (-_-;)
カレー食べながら観てます
コメントありがとうございます。Q太郎様の男気に敬意を表します。何年か後には、ひょっとしたら『臭いを放つyoutube動画』が巷を席巻するかも知れないので、その時には、更に強烈な映像をUPさせて頂きます。まあ、まだこの世に居ればの話ですが……(苦笑)
大昔のIMEで「代弁者」とかが「大便車」に良く第一候補にでてきた昭和時代の記憶
コメントありがとうございます。『大便車』はイタダケませんね (笑) でもソレって、最近ではなかなか見られなくなった『バキュームカー』の事を表す言葉のような感じを受けますね。そう言えば、今、メインチャンネルの方で作成中の動画に、『生駒ケーブルの踏切を渡るバキュームカー』が映っています。宜しかったらソチラも観てください。(新作のPRのようで ゴメンナサイ (^^ゞ
朝の寝台特急通過は厳しい
コメントありがとうございます。東北や九州あたりで食べたモノが、スガタカタチを変えて、東京方面に集まって来るってことですね?もし、食物となる野菜や果物の種などが、未消化のままやって来て、東京近郊でバラ蒔かれたならば、東海道本線や東北本線の線路際などで見事に育っていた可能性も、一概に否定出来ないって事ですよね?昔、小学校で、「野鳥は植物の種を、広範囲に散布する。」と、担任の先生が言っていた事を思い出しました。はくつる、ゆうづる、はやぶさ、やまばと、ひばり、かもめ、とき、雷鳥、しらさぎ、つばめ、白鳥、かもめ、はつかり……。ナルホド、それで長距離特急の名前には、『鳥の名前』が多かったんですね? ナットクです。 (^^)v
コメントありがとうございます。まったく同感です。私もかつて、大宮駅の近くに住んでおり、朝の『踏切待ち』が恐怖でした。特に、カマボコ型の踏切では、垂れ流しの排出口が『目線の高さ』だったので、ホントに嫌でした。
今から30位前、当方通学で利用した国鉄気動車のトイレの扉に「(列車)停車中にトイレは利用しないで下さい」の注意書あった。なのに、列車交換待ち時間が長く、そのくせホームには、トイレ無し。本当に最悪だった。
コメントありがとうございます。単線でのすれ違いは、駅での待機時間が長い為に、結構イライラさせられましたね。でも、そんな交換駅のポイントって『スプリングポイント』(発条転轍器)のところが多いんで、ポイントを押し広げて通過していく列車を、『うお~~~』と叫びながら眺めていました。もう50年以上も前の話ですが……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び ご返信ありがとうございます。当方の地元なら、JR五能線板柳駅がスプリングポイントで、弘前行列車の最後部から見ると、ポイントが転換するシーンが見られます。
白神山地の辺りにお住まいなんですか? 今から20年以上前に『研修』という名目の家族旅行で、子供を連れて『白神山地』に行ったことがあります。団体旅行でのバス移動だったので『リゾートしらかみ』には乗れませんでした。でもバスガイドさんが、「海が荒れると五能線はすぐ止まる。なので『不能線』と呼ばれている。」と言って笑わせてくれました。真冬の五能線のスプリングポイントでは、一晩中、カンテラを焚いているんですか? もしそうだったら、一度見てみたいものです。返信ありがとうございます。(すいません、今から2~3日、取材旅行に出掛けますので、もしも『再返信』いただいても、リターンは少し遅くなります。)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 当方、津軽平野ど真ん中在住です。ただ、「リゾートしらかみ」には、何回か乗車した事は有ります。
自然の厳しい所にお住まいなんですね。さぞや厳冬期も頃は大変なんでしょうね。私などは、関東平野でヌクヌクと生活していますので、正直、雪国の厳しさを知る事がありません。しかし、そんな関東で生まれ育った娘が、昨年、鳥取に嫁ぎました。LINEで『雪下ろし』や『ママさんダンプ』などのワードが行き交っていました。なんとか娘も、『雪国鳥取』の地で、生活出来ているみたいで、親としてはホッとしています。
3:42昭和生まれの方がB型肝炎該当者になってると以前寺尾聰さんのテレビCMで報道してて、かかりつけの病院で採血してくださいと言ったら調べてくれます。自分も昭和末期で該当者ですが、検査の結果は陰性でした。
コメントありがとうございます。『昭和の常識』が『令和の非常識』となりつつある今日、私達のような『昭和生まれ』のオヤジたちは、世間様からは、どのような目で見られているか?と、最近はそんなことを考えております。小学校のプールの更衣室の天井は『アスベスト』給食で出された牛乳のフタをカバーしていたビニールは、『ダイオキシン』の煙を出しながら、校庭の隅の焼却炉で燃やされる。ドッジボールで突き指をしたら、関節を引っ張る。鼻血が出たら、首の後ろを叩く。これらは全て、『昭和の常識』だったものです。今、東北地方の太平洋側では、『汚染水』なるものが海洋投棄されそうになっています。昭和の頃は『人糞』を海洋投棄していましたが、令和では『放射性物質』を海に流すらしいですね。「十分に希釈しているから心配無用」と、どっかの誰かが言ってたらしいですが、水で薄めた焼酎を、毎日50杯も100杯も飲んでたら、必ず肝臓を壊すでしょう。『日本の海は、昔も今も、天然の浄化槽』こんな考え方が、昭和から令和まで、この国の『常識』となっているのでしょうか?ひょっとしたら『人類』という存在は、地球と言う名の『崇高なる生命体』にしてみれば、単なる『厄介な寄生虫(ムシケラ)』なのかも知れませんね。
まあ、そんなわけで都市周辺部ではレコーディングが禁止になっていたそうなこの問題が顕在化したのは新幹線開業の時期で、流石に時速200㎞で垂れ流しはまずいだろうということになった下手にトイレに行ったら、吸い出されて汚物と一緒に内臓が出るという、笑えない冗談もあったそうな
コメントありがとうございます。ホントに『昭和』という時代は、笑うに笑えない事が沢山ありましたね。でも、今の時代の方は『全く笑えない話』ばかりで、嫌になります。それだから『昭和レトロ』に郷愁を感じるのかもしれませんね?
東京駅で停車した0系から排水されてたのは違うのかな?
少年ジャンプに連載されてた「トイレット博士」って漫画に黄害列車ってネタにされてましたそれから岡山駅で線路のトイレの穴が来る位置にステンレス製の箱が置いてあって 中に茶色いブツがこんもり盛られてたのは衝撃的でした
それって、永井豪先生のマンガですよね? 近所の床屋さんで、順番待ちの時に読んでました。そにこは『ジャンプ』『サンデー』『マガジン』もありましたが、『キング』を読むのが、結構、好きでした。実は、来週、妻と『岡山』や『姫路』の辺りに行ってきます。『駅そば』を食べる予定です。(笑) コメントありがとうございます。
トイレット博士はとりいかずよし先生ですよ。
それ以前は、客車寝台車の真ん中通路の床には、痰壺もありましたね。
コメントありがとうございます。寝台車に『痰壺』ですか!? それは知りませんでした。昔、銀座線だか日比谷線のどっかの駅の柱に、しっかりと備え付けられていたのを見た記憶はありますが…。まあ、今の若い人には、絶対に理解できない『用途』と『存在』でしょうね。『痰壺』と聞くと、『スネークマンショー』を連想するのは、ワタシ以外にも、結構、多いのでは?
昭和の時代は毎年春になると国鉄は1週間近くストライキして全面運休を繰り返し、その度に線路の上をひたすら歩いて通勤したけれど、その時線路💩とチリ紙がとんでもなく多いので歩くのが大変でした。タンクを付ければこんな💩だらけにはならないのにという発想は出てこず、仕方ないなかなとしか思いませんでした。それに対してトイレの無い私鉄を歩くとき💩が全くなくて歩きやすかったのが懐かしい。
コメントありがとうございます。『交通ゼネスト』『順法闘争』『ワッペン闘争』『リボン闘争』……。昭和の頃は『春闘』が、年に一回の『お祭り』のようでしたね。でも、あの頃は『春闘』あっての『ベースアップ』って感じでしたよね。この国の賃金が、今までずっと上がらない要因の一つとして、もしかしたら『労組の弱体化』があったのかも知れませんね。
自分は根っからのて鉄ちゃんで 当時はそんな事大ぴらに公表すると根暗と思われがちで いまは鉄道ビック4が 堂々と明るくしてくれたけど(笑)そんでもってバイトは国鉄の荷物係りで 手荷物券チッキと言うのを150円で発券したり 荷物列車に積み込む荷物の受け渡しをしていました。高校は池袋の鉄道学校で、バイト先では国労と動労どちらに入るんだとまだ高校生のうちから決めさせられたりとチョツト怖い世界でしたよ。
今、メインチャンネルの動画作成の途中でした。なにしろ、定年間際のサラリーマンなんで、週末くらいしか時間が取れないもんで……。『手荷物チッキ』とかって、今の若い人には全く通じない『単語』ですよね? そう言えば、私が上京(埼玉だから上埼?)する時に、当時は一時期、国鉄貨物が、引っ越し荷物を取り扱っていて、それを利用して荷物を送りましたよ。まあ、結果して案の定、予定日には着きませんでしたけど...。(苦笑)国鉄民営化前の、方向性を見失った破れかぶれの『サービス改善策』の一環だったのかも知れませんね。ところで、私も若かりし頃は、日比谷の野音で集会&デモ行進をさせられました。あの頃は『国労さん』たちが参加すると、必ず赤坂警察署の機動隊さんが大挙して来てたモンですよ。なので、集会に参加する前に、『今日、国労さん、来てるんすか?』て、必ず先輩たちに尋ねていました。春闘、秋闘、総評、公労協、これらの言葉も、今じゃ歴史の教科書に載るだけの、乾燥した『単語』になってしまいましたね。
新幹線など開業時からタンク付きだったので在来線もできたはず。友達の家が在来線の付近で糞尿が風によっては飛んできた。裏の壁が黄色いんだよと。見なかったけど、なんかわかる。選択は屋内干し立った事実。
コメントありがとうございます。その時代、その時代で、『社会の許容力』ってモノが存在していたのかも知れませんね。たたし、ある意味『許容』は『犠牲』を前提にしている部分もあろうかと思います。当時の国鉄沿線にお住いの方々は、さぞやご苦労されたことと拝察いたします。
筒井康隆の小説は、線路際に引っ越してきた夫婦が黄害に悩まされ窓の外に板を設置した。しかし板の外はとんでもない事になっており、夫婦は憤慨してこの板を「国鉄」という題でイベントに出品した話だったと思いました。
コメントありがとうございます。筒井康隆さんの『近代都市』というタイトルの短編ですよね。私が高校生だった頃は、筒井康隆さんの小説に『どっぷり』とハマった青春を過ごしておりました。今になって考えると、『筒井オタク』は最強にアブナイかも? (何するか分かりませんからね……) ((+_+))
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 国鉄はそれに抗議、実情を知るために沿線に国鉄職員を立たせました。結果はティッシュがいくつか飛んでくる程度でしたが、その職員は翌日から数十回の下痢の末死亡したとか?50年近く前の記憶。アルツハイマーなのでご容赦を。
完璧な記憶ですね。お見事です。私も最近は、昔の事ばかり思い出します。特に、筒井康隆さんや眉村卓さん、星新一さん光瀬龍さん、若桜木虔さんなどの作品の記憶が、断片的にフラッシュバックする時があります。昔を懐かしんで、たまに古本に目を落とすのですが、老眼のジジイには、なかなか読み通すことが困難になってきました。(笑)
懐かしい。国鉄在来線は確か、昭和47年の総武本線地下対策をした、183形、113形1000番台ATC搭載車が初めてじゃなかったかな?
コメントありがとうございます。113系1000番台って、総武本線と横須賀線が東京駅の地下でつながった時に走ってたヤツですか? 地下を走る電車が『垂れ流し』だったら、ホームで待っている乗客の皆さんは、どんな酷い目に遭ったんでしょうかね? 地下ホームじゃ、逃げ場が無いですもんね? 考えただけでも恐ろしいです。
写真の便器は12200系スナックカーではないでしょうか
コメントありがとうございます。正解です。さすがです。サムネには『国鉄』と銘打っていますが、画像自体は、2018年の5月に、【大和八木】から【近鉄名古屋】まで乗車した名阪特急のスナックカーです。 今では『懐かしい近鉄の名車』ですね。いろいろなRUclipsrの方々が、スナックカーの走行動画などをUPされていますが、12200系の『便器』をメインに晒しているのは、きっとワタシだけかも?
当時は冷房も御座いませんので、旅する皆さん全員、駅弁を窓全開で車内で食べる訳ですよ……
コメント ありがとうございます。ワタクシ、ガッツリと食べていましたよ。忘れもしません、あれは小学生の頃でした。東北本線の福島駅から奥羽本線を通って男鹿半島を目指す『急行おが2号』に乗ってた時に、黄ばんだ窓枠の車窓を全開にして、駅弁を食べていました。何しろ、山形県の米沢駅あたりには、お昼ちょっと過ぎくらいに停車するので、その時に『米沢牛肉弁当』を、駅のホームで立ち売りしている駅弁屋さんから購入し、列車が発車した後に、車窓から入って来る涼しい風を受けながら、600円くらいのランチと、プラスチック容器に入っている安い味のヌルいお茶を、心ゆくまで楽しんでおりました。今となっては、いい思い出の一つです。
昔、何故夏なのに線路脇に雪が残っているのかと思っていましたが...
コメントありがとうございます。『残雪』ならば何と無く風流ですが、チリ紙の破片や惨たらしい排泄物が散乱した光景は、漢字で表すと『惨泄』でしょうか? オソマツデシタ‥‥ (苦笑)
昔の列車は垂れ流し式だったなんて…今は垂れ流し式は廃止されたのかなー??
コメントありがとうございます。ウィキで調べたところ、2002年くらいまでは現存していたらしいです。また、このコメント欄の『@user-gm9wz2fl4t』という方の情報によると、群馬県の横川にある『鉄道文化村』に静態保存されている車両では、その当時のままのトイレが見れるとのことです。もしかしたら、今でも、どこかの地方の私鉄なんかで『旧・国鉄車両』を走らせているトコロは、今でも『垂れ流し』だったりして……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び もしかしたら、現在でもまだ垂れ流し式便所の列車が走ってるかもしれませんね!!
まさに黄害!💩😅しかし自然に戻るので化学物質よりは遥かに地球に優しい 草
確かに目線を変えれば、有機系の物質ですもんね。この際『SDG’sの一環でした』と言い切っても、差し支えないかも知れません。コメントありがとうございました。
関東圏でも昭和末期から「このトイレはタンク式です」の表示がされた車輛が徐々に増えてはいたものの、平成初期の時点でまだ垂れ流し式は全廃されていなかった。
コメントありがとうございます。『垂れ流し』が主流だった頃の、国鉄の線路脇には、色鮮やかな草花が咲き乱れていましたね。『タンク式』が主流の今日では、そんな植物たちにも、お目にかかれなくなりつつありますね。まあ、もっとも、都会では『立体化』が進んでいますから、草木が生えることも無くなりましたが…。そう考えると、比較的早いうちに『立体化』が進んでいた、昭和40年前後の『国電』の車両にトイレを設置しなかったのは、町中での『人糞空中散布』を未然に防ごうとした、当時の国鉄の思惑だったのでしょうか? 妄想が止まりません。 (笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 東京近郊の列車にトイレが無いのはそういう理由だったのですね。国鉄→JR全列車に当たり前にトイレが付いている地域に住む私にとっては辛いものがありますが。因みに陶器製便器の垂れ流し車輛は水洗ペダルを踏んだときに地面が見える造りでした。ステンレス正便器だと地面を見えにくくするためかピッツァ状に切れ目が入った黒または茶色のゴムが付いていました。
『ピッツァ状に切れ目』……秀逸な表現ですね!?ところどころに、チキンの照り焼きチックな『トッピング』が、頑固にちょこっと、こびり付いていたりして……(笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 「ところどころにチキンの照り焼きチックなトッピング」の方が秀逸です。確かにそう見えます!
お褒めの言葉、ありがとうございます。小学校の頃にロクに勉強もせず、教科書の端っこに『ウ〇コ』や『チ〇コ』の落書きをしていたら、こんなオヤジになっただけです。還暦間際の現在でも、頭の中はガキのまんまです。(オハズカシイ‥‥)
昔「大宮から上野までトイレの利用を禁止させていただきます」という東北本線のアナウンスを思い出しました。
コメントありがとうございます。そんなことがあったんですね?確かに【上野ー大宮】は、東北本線と高崎線(上越線&信越線)が、全線に渡って輻輳していますから、トイレの使用頻度も高かったことでしょうね。しかも、結構、長い距離を乗る通勤客も多かったでしょうから、自宅でトイレに行かずして、電車のトイレを使用する方々も、かなりの割合で、いらっしゃったことでしょうね。高度経済成長期における、そのようなサラリーマンの皆さんが、きっと、今日の日本の繁栄の基礎を築いたのかも知れませんね。まさに、日本の繁栄の基礎は、線路のクソが物語っていたんですね。
むか~し、鉄イベなんかで鉄道部品買ってくるとよく親に激おこされたっけ・・・(# ゚Д゚)そんな汚いもん買ってきて!!それ、う〇こしょ〇べんいーぱいこびりついてんだよ!って、今あったら超貴重なお宝になってたのみーな捨てられもーたわ( ノД`)シクシク…
コメントありがとうございます。貴重なお宝が捨てられてしまったのですね……。昔はヤフオクやメルカリなんか無かったですもんね。今なら手軽に、結構なお金を手にすることが出来たのに残念ですね。『う〇こ』だろうが『しょ〇べん』だろうが、今となっては貴重なお宝だったのに……。
雨の日にホームで待っていたらやけに臭いので見下ろすと線路にはブツ。ふんばってる所に鉄橋へ差し掛かろうものなら冷たい風がケツをなでていくんだ。
コメントありがとうございます。私が子供の頃、古い自宅のトイレは、小窓が常時開放されていた『ボットン便所』だったので、真冬の早朝などは、極寒の中で下半身を露出させて、顔を真っ赤にしながら踏ん張っていたものでした。平成から令和になり、若干、お尻の病を患っている初老の私は、今、そのような行為に及んだ途端、多分、肛門は裂け、脳の血管は破裂することでしょう。TOTOさん、ありがとうございます。 m(_ _)m
広島市の平成初期は東京のお下がりの国鉄 深緑オレンジ 青クリーム車両のイメージでした
コメントありがとうございます。広島といえば、今から20年くらい前に乗った、広電の緑と白の3両編成『3950形』が、とても印象に残っています。確か、原爆ドームの方から広島市内に戻る時に乗車した記憶があります。(ん? 宮島の帰りだったかな?)連接台車が醸し出す、心地い良いジョイント音に、心酔していました。
山陰本線も「京都~嵯峨間での使用は、禁止」やった。特急でも481系初期は垂れ流しで、高速運転時の風圧が原因で、黄金水の逆噴射が発生したとか?
コメントありがとうございます。『特急列車の垂れ流し』って、ある意味、物凄い迫力じゃないですかぁ~!! 多分、海外へ行けば、そんな列車にも、お目にかかれる可能性があると思われますが、さすがに私が『ド底辺youtuber』でも、『再生回数増進の為に』とナリフリ構わず玉砕覚悟で、線路際でカメラを回す気には、到底なれませんよ。 (でも、来年あたり、そんな動画をUPしてたりして……。その時はgoodボタンをお願いします。)
筒井康隆さんの小説にも 「国鉄」があったなぁ。
コメントありがとうございます。『近代都市』っていう作品でしたよね。筒井康隆さんの作品は、『七瀬ふたたび』とか『時をかける少女』なんていうのが有名ですが、私は、『農協月へ行く』とか、『コレラ』とか、そういったハチャメチャな作品が大好きでした。 オハズカシイ… (・_・;)
線路にたれ流しトイレは平成14年までありました
コメントありがとうございます。平成14年ってことは、今から約20年前くらいですかね。ハリーポッターの第一作目あたりが公開された頃ですかねぇ~。この歳になると、『ハリーポッター』って、つい最近の映画シリーズに思えてしまいますよ。ってことは、やはり最近まで、垂れ流しトイレが存在していたんですね?
古い客車では、トイレから線路が見えているタイプもありましたね。トイレは確かに水洗で、一見して清潔に見えましたが、垂れ流しとは酷い話ですね。
コメントありがとうございます。確かに、今考えれば『酷い話』ですが、あの頃は『ごく普通の常識』だったんでしょうね。『価値観』というものは、時代と共に移り変わるもなんでしょうね。諸行無常ってヤツですかね?ただし、平和を希求する心だけは、永遠に不変な『人類共通の価値観』であって欲しいと願いつつ、そのうち『ハゲがカッコイイ』という価値観が生まれることを、毎朝、鏡を見ながら願っています。(笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 様、『ハゲがカッコイイ』そうです。同意します。ユル・ブリンナーみたいでナウくて、イカしていますね。
列車便所もさることながら昭和の大規模駅構内なんてションベンの薫りが漂ってたもんだしホーム上も線路もゴミくずやタバコの吸殻でいっぱいだった。⬅️みんなポイ捨て立ちション当たり前。でもあんなワイルドな経験をすることのなくなった今となっては、それが懐かしく感じられる。乗務区所や保線区所には銭湯並みの風呂があるけど、アレも皆ウ◯コ浴びながら仕事してた見返り、と先輩社員が言ってた。こんな不衛生なことしてても慢性の病気になった等の話は聞かない。人間の免疫力って大したもんだと思う。
コメントありがとうございます。かつての国鉄の分割民営化議論の中で、『洗身入浴』に関する批判(?)があったように記憶しています。私個人としては、労働者が勝ち取った権利の一つだと、生意気ながら思っておりました。今でこそ『デモ』も『スト』もない、一見、安穏な世の中になってしまいましたが、もしかしたら、日本人の所得が四半世紀も上がらない原因の一つが、この『安穏さ』にあるんですかね? 昭和の頃の『デモ』と『スト』……。 これはこれで懐かしく思います。(苦笑)
でも海外の鉄道では高速列車以外は、先進国であっても垂れ流しトイレが大量に残ってるんですよ。日本みたいに垂れ流しトイレがほぼ消滅した国は非常に珍しいんです。
コメントありがとうございます。海外の鉄道事情は、どこかで聞いたことがあります。昔のヨーロッパの街中では、高層階の住宅の窓から『ウ〇コ』や『オシッコ』が、道路に廃棄されるのが日常だったらしいですからね。また、ベルサイユ宮殿も『ウ〇コだらけ』で、物凄い悪臭に満ちていたらしいですもんね。『糞尿の垂れ流し』に対する、各国の見識に相違があるのは、ある意味、致し方ないのかも知れませんね。
私は、イラストの形の車両に子ども時代に乗ったことがあるが、記憶してる限りはたれ流し形式ではなくタンク式(踏み流すタイプ)の和式トイレだった。
鉄道沿線で "黄害問題" と云われていましたね。
コメントありがとうございます。『黄害』という言葉をパソコンで検索していたら『横臥位』というワードがヒットして、思わずニヤッとしたことがありました。また、大阪の梅田の地下街を歩いていて、『いや~、成城石井やぁ~』と女性の方が言ってた時に、『嫌ぁ~、正常位しいやぁ~』って聞こえてしまい、『泉の広場』辺りまで、独りで妄想していました。(お恥ずかしい……)
中川家礼二さんが、国鉄のトイレのモノマネしそう
コメントありがとうございます。礼二さんにもモノマネしてもらいたいですが、どきどきキャンプの佐藤さんに、是非、綺麗にお掃除してもらいたいです。JR各社の関係者の皆さん、是非、さとうさんにオファーしてください。それを、鉄道チャンネルの企画でやってみるのも一興かなぁ~ (笑)
うん‼️
垂れ流しトイレだった
コメントありがとうございます。その頃は、列車のトイレを使った人たちのお陰で、国鉄の線路脇には、綺麗な花が咲いていました。
垂れ流しもそうだが、ある私鉄沿線の家の屋根瓦やその他が焦げ茶色に変色していたのはなぜか?
コメントありがとうございます。『焦げ茶色』ですか? トイレとは関係無さそうですね。栃木県の『東武葛生線』や、その近くの、お蕎麦で有名な『出流山』の方だと、石灰の粉塵で、道路や家屋が真っ白だったりしますが……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 関西の阪急電鉄宝塚線だが電車にトイレは無かった恐らくレールと車輪の鉄粉が10m近く飛んで辺り一面焦げ茶色になっていたと思われる現在では改善されて屋根瓦は黒い
ナルホド... 了解です。 (*^^)v
昔、蓮田駅のホームで待っている時に急行列車が勢いよく通過した時、霧吹が漂っていた正体はこれだったのかな😂
コメントありがとうございます。『急行が通過する蓮田駅』って、かなり昔の話ですかね?私も大昔、電気機関車に牽引された茶色の客車の『急行』で、蓮田駅を通過した記憶があります。まだ、土呂も東大宮も存在しなかった頃の話です。今では橋上駅舎へと進化を遂げ、アーバンな雰囲気を醸し出している蓮田駅の東西通路では、自転車モロトモ、エレベーターを使って上がって来た方々が、ワガモノ顔で『券売機』の前を素通りして行きますよね?私、過去に一度、蓮田駅の券売機の前で、オバちゃんが押すママチャリ(ババチャリ?)に、危うく轢かれそうになりました。なんともまぁ~、あそこは恐ろしい駅です。 (…と言いながら、近所なので頻繁に使わせて貰っています。)追伸‥‥、何故、蓮田の駅前には、東西併せて3軒もの『ファミリーマート』が在るのだろうか…? (しかもファミチキの味が、微妙に違う‥‥)
まさしく今から40年以上前です。日中は緑とかピンク色のような列車が勢いよく通過してました。あの頃はあまり気にしていかったのですが、、、なるほどと思いました・苦笑 あと、駅も駅前も当時から変わりました~。ファミチキ!東口ですね (^_^)
東口と言えば『きょうざの満州』ですね。たまにタンメン、食べてます。 (^^)v
駅周辺にも詳しいですね!😊👍
近所ですから。 (^^)v
おわい船の所で「ツケマイからのまくり差し」に草うぷ主さん競艇大好きでしょ?
バレました? 映像が反転していれば『第1ターンマークの攻防』チックな画になっていましたよね? 少々残念でした。因みにワタシは、若い頃の柳沢千春選手が好きでした。まぁ、今はチョット……。これまた少々残念です。時の流れは『残酷』です。コメントありがとうございます。PS.よろしかったら、コチラ↓をどうぞ。!(^^)!msp.c.yimg.jp/images/v2/tpvPBYOX1wpNVI1UoNSgEl8p9mnLRNIAighPjGUWLO2IR01Xc0sVs2MDEAY7NrXeTxqBLgIl4nw2MPqjcf8_0UW-pHufTJCZfQTYmDpHaehgsaJE6DPQAcBMqETcQyp1iBNcQyM2AKuFgRFUVGpF4SkNPIH6QnJ5YX79fGRxulnjrGZmTNjRxxsnNtk4qjqgU5iQUCt_bpAIRz2lcDxkKwtRRI6E8uM9xDReDdvfB_aDZNRaifXhNCs_BugWVA5o/chiharu.jpg?errorImage=false
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 柳沢千春さんは現在も美しい❗️56歳だそうですが。
実はワタクシと同い年……。そしてなんとなく、昔のクラスメイトに似てるんです。もっともその娘には彼氏がいましたが……(因みに、彼氏の名前はイケ〇ミ君ではありません。) なお、現在、ワタクシの職場に『柳沢千春さん似』の方がお勤めでいらっしゃいまして……。退職金を貰うまでは、一先ず、『清廉潔白』を心がけていきます。(冷汗)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び因みにわたくしは55歳です。1つ下ですね。
こういうトコロで、『同世代』の方と語ることが出来ると、ホッとしますね。お互いに、まだまだ頑張りましょう。(^^)v
すいません🙏爆笑してしまいましたとさ。合宿で信州に向かっている時に窓を開けて信州の美味しい新鮮な空気を吸おうぜとばかり急行列車の窓を開けて顔を出したら( -_・)?んなんだぁ。飛沫だぞぉ。まぁ。鉄道研究所の合宿でしたからね。先輩がこいつショ○○ンシャワー浴びてんぞってね大爆笑を思い出しました。いじめやしごきなんて皆無なサークルでしたけどね。いじりはありましたね。しばらくの間は車内でシャワー浴びたオバカさんといじられましたよ。もう44 年前の話ですけどね。
コメントありがとうございます。『鉄道研究会』のご出身ですか!? これはこれは、そのようなお方が、こんな動画にコメントを寄せて戴くなど、なんとも恐れ多いことでございます。昔は、どこの大学にも、そして多くの高校に『鉄道研究会』があって、学際や文化祭などで、結構アチラコチラを巡っておりました。もう40年くらい前の話ですけどね。そんなことも、今となっては、『古き良き、昭和の思い出』となってしまいましたね。
5:40 SDGsとエスビーカレーの並列は草。。。
コメントありがとうございます。この歳になると、いわゆる『横文字』が苦手になってきます。『インフルエンサー』って、『インフルエンザウィルス』のキャリアーだと思ってましたからね。(^^ゞ もっともっとナウなヤングに負けないように、ソッコーで流行語辞典をゲットしに行きます。ワタシ自身、もっと『ガンバ』です。 (^_^)v
211系て垂れ流し式だったの?
コメントありがとうございます。スミマセン、冒頭の映像は『フィクション』です……。(ホンモノだったら、ワタシは糞まみれでした……。)
国鉄時代のディーゼル車両、現在の埼京線ですがトイレから線路が見えてたのでヤバイと思ってました。落下物は見た事ないですが当然落下してたでしょうね。
コメントありがとうございます。『国鉄時代のディーゼル車両』って、川越線を走っていた『タラコ色』のヤツですか? もう40年近く前に、川越の『時の鐘』を見に行く時に乗りましたよ。まあ、当時の川越線ならば荒川を渡るところで、『ハイ皆さん、トイレに行くなら、今ですよ。』なんて、車掌さんがアナウンスしても面白かったかも? まあ、これも私の妄想ですが……。
昭和と言う時代が💩と有害廃棄物の垂れ流しの時代だったことを再認識させてくれる動画だ👍
コメントありがとうございます。そして『お褒めの言葉』ありがとうございます。まあ、あの頃は、何かと『ポイ捨て』してた時代でしたね。私も子供の頃には、ガムの包み紙をポイ捨てして、暫くあとに、今度は噛んで味が無くなったガムを、道端に吐き捨ててました。なので、還暦を控えた昨今、月一で行う『町内の清掃』に、罪滅ぼしの意味で、時々参加させて頂いてます。(まあ、カミさんが行けない時『限定』ですが……)
本当にS50年代ままで線路に大小たれ流していたとくに下り線
コメントありがとうございます。垂れ流しに『上り線』と『下り線』で違いがあったんですか?特に『下り線』って、どういう理由なんでしょうか?まあ、何となく、『上り線』は都会(繁華街)に行く方向ですから、ホテルやデパートや会社やコンビニなどのトイレが利用可能ですが、『下り線』は、閑散とした街並み(人はそれを田舎と呼ぶ‥‥)方向ですから、ひょっとしたら、トイレの心配をした結果として、車内で用を足したのかもしれませんね?ひょっとして、『下り線』って、「お腹が下り気味(下痢)だから…」とかいうシャレですか? (笑)
高野有美さんあなたの日本語がわからない。①S50年代 “ままで” → “まで” の誤りか ?②“特に下り線” →上りも 下りも同じじゃあありませんか?下りだけなんて有り得ない。どうも分からない文章で、アタマが混乱しております 😥😥
osakakawachi日本は今、あらゆる面で世界有数の “きれい好きな衛生管理のゆきとどいた国” ですよ!
コメントありがとうございます。おっしゃる通り、今の日本は、正に見た目は、『世界に誇れる衛生大国』だと思っています。街中も、駅も、公園も‥‥、パブリックスペースは、ホントに、昭和の頃と比較して、美化が進んできましたね。でも、残念なことに、『精神衛生』という側面では、正直言って、あまり芳しくないように思われます。その責任の一端は、昭和から、平成、令和と、ここ数十年の時代を作って来た我々の世代に、少なからず存在しているとも思っています。これからの時代が、物心両面にわたって、衛生的な時代になるよう、残りの人生を頑張ってみようと思います。
さてさて、昭和の代名詞のように言われる開放式便所ですが、実際はJR化後もしぶとく残り続け、最後まで残ったJR西日本管内から引退したのはなんと21世紀に入ってからだそうです!JR西日本管内でも山陰地方はこれら対策が遅れに遅れた地域であり、私が2000年の夏に出雲~益田~山口と旅したとき、トイレには「停車中は使用しないでください」と明記されていましたし、便器をのぞけば線路が見えました。これら車両が新型に置き換わったのは2001年7月のダイヤ改正のことでした。
コメントありがとうございます。なんとまあ、『昭和レトロ』をスルーして、気が付いたら『平成レトロ』まで来てしまった感じですね。正直言って、この国においては、『都市部』と『地方』の格差は、ちょっと大きい気がします。(どこの国に行っても、そうなのかも?…… って、知らんけど。)
忘れかけていた記憶そういえば大阪から福知山線の旧客車の普通に良く乗ったけどトイレの穴から線路が見えていた?洗面所の水も薄茶の水が出てたのを思いだした?昔はトイレタンクを付ける発想は後回しだったんだ
コメントありがとうございます。そう言えば、昔は、洗面所にチープな紙コップ(折り畳み)が、備え付けてあったような記憶があります。飲むに耐えられる水だったどうかは、今となっては検証できませんが、あの頃は平気で飲んでいたような気がします。駅弁と一緒に買った『ポリ茶瓶』のお茶も、お茶の風味よりも、ポリ容器の溶けた臭いの方が、強烈に印象に残っています。あのお茶も、飲むに耐えられるお茶だったのでしょうか? (-_-;)
洗面所前にありましたね?紙コップつきの飲料水特急と新幹線だけだったような記憶があります。特別おいしい水ではなかったですが来月久しぶりに特急サンダ-バ-ドに乗って旅に行くことになりました。
サンダーバードですか!! いいですね (^^) (・_・;)どこから乗車するんですか?実は 、私共夫婦は、先々週に、京都から倉吉まで『スーパーはくと』に乗ってきました。(娘が鳥取にいるもんで…)あれは、正しく『化け物特急』でした。 (・_・;)
こんばんはス―パ―はくとに乗られたんですね?鳥取までやっぱり速くてパワーありますか?乗ったことは ないのですがサンダ-バ-ドは大阪から加賀温泉まで乗ります。山代温泉♨️行きますよかなり久しぶりに乗りますので今から楽しみです。
大阪から加賀温泉ですかぁ~、羨ましいです (^^)そう言えば、サンダーバードについての私の思い出は、『田川踏切』横の、高さ1.2mのガードでのところで、回送されるサンダーバードの台車と車輪が、目の前を大迫力で通過していった事ですかね。あれは、凄かった。(^^)v
近所の国鉄の踏切で先頭で待たされる場合は距離を取っていた(顔にペチャ(*_*))酷いことになる 列車が停車している時はトイレは使わないでと言われたな 手でガチャっと開けるドアだったな
コメントありがとうございます。確かに、昔の東北本線の踏切で、電車の通過を待っていると、晴天にもかかわらず、「え!? 雨? 霧雨‥‥!?」てなことがあった記憶があります。列車に近づきすぎて、夢中でシャッターを切っている現代の撮り鉄さんたちには、きっと、信じられない話かもしれませんね。あの頃は『霧中』で撮っていたんですよ。
私の知る限りは、山陰本線ではたれ流し形式のトイレは既に廃止。
コメントありがとうございます。令和となった今では、さすがに『垂れ流し式』は、ほぼ絶滅状態らしいですね。山陰本線といえば、私も先日、『スーパーはくと』で【鳥取ー倉吉】 そして普通列車で【倉吉ー浦安】に乗車し、その翌日には、やはり普通列車で【米子ー松江】そして一畑電車で出雲大社に参拝の後に、『特急やくも』で【出雲市ー米子】を乗車してきました。まあ、その辺りの動画は、いづれどこかのタイミングでUPしたいと考えていますが、私が思う『山陰本線』の感想は、「寝るには最高の路線」だということです。車窓を眺めているだけで、心底、癒される路線です。JR桜井線が『万葉まほろば線』と称するならば、山陰本線は『雲州まどろみ線』という路線愛称はいかがでしょうか? (微笑)
すみません、ここで使われているBGM教えて下さい
コメントありがとうございます。後半の曲でよろしいですか? 解説欄にもURLが貼ってありますが、改めてお教えしますね。【フリーBGM】ヒーローもの・戦隊ものパロディ「正義のヒーローここに参上!」 【自主映画サントラ】 ~MOMIZizm MUSIC / もみじば~です。(^^)vもし、『ちげーよ』というなら、またコイメントください。(^^ゞ
ありがとうございます。前半の曲も教えて頂ければ嬉しいです。ちなみに私も国鉄時代で東北線(現・宇都宮線)のトイレから見える線路に妙な興味を持っておりました。
前半の曲は クラシックでは結構有名な ベートーヴェンの『月光』です。これ↓です。ruclips.net/video/MbpqyaAZjL8/видео.htmlPS. 実は私も『さいたま市在住』で、実家は『宇都宮市』です。なので今でも『宇都宮線』と言うよりも、つい『東北本線』と言ってしまいます。『急行つくばね』や『急行おが』『特急ひばり』や『特急はつかり』が、颯爽と走っていた頃が、今ではとても懐かしいです。(^^)v
度々ありがとうございます。両親の実家が宇都宮で帰省は「急行なすの」でした。「急行つくばね」間々田停車で小山の短絡線でしたね。「ひばり」「はつかり」「おが」懐かしいですね。
ご丁寧な返信、ありがとうございます。今後、機会がありましたら、それらの『懐かしい列車たち』も、ネタにしたいと思っております。(^_^)v
駅のトイレは最悪でしたね 男子の小は 便器も衝立もなく コンクリに向かって する 大のほうは当然和式だけどする気もしなくなる
コメントありがとうございます。そうそう、思い出しましたよ。確かに壁に向かって用を足していましたよ。そして、上流から自分の爪先の方へと、隣人のオシッコが流れて来るんですよね。他人のオシッコと自分のオシッコとが、目の前で混然一体となって融合して、下流にある『茶褐色に縁どられた排水口』へ吸い込まれていく……。懐かし光景ですね。(笑)
5トンの大便をばらまくから、ゴトンゴトンとか音がするのですね。
『上手い!! 座布団10枚』って、昭和のノリでごめんなさい。でも、思わず笑ってしまいました。コメントありがとうございます。
タイ国鉄の非冷房車両はまだ垂れ流し便所。車体構造はいわゆる旧型客車と一緒。冷房付き一等二等は新しい客車はタンク付き。でも僕は窮屈な令和より昭和末期平成初期はええ時代でしたよ
コメントありがとうございます。『でも僕は窮屈な令和より昭和末期平成初期はええ時代でしたよ』 同感です。あの頃は、世間全体に『ゆとり』らや『遊び』があったような気がします。個々の表現や生き方の『ブレ幅』に世間は寛容であり、許容範囲も大きかったような気がします。どうも私的には、『ゆとり教育』を行って以降、社会全体に『ゆとり』が無くなってしまったような気がしています。どうも『昭和生まれ』は、画一的な統制社会には、どうしても馴染めません。情熱の朱 哀愁の青 今、混ぜながら夢の世界へ……幼い頃の記憶に刻まれた、妙味のあるカオスな憧憬が、心なしか懐かしく思います。
タンク式トイレも壊れたら話にならないのである意味では垂れ流しトイレのほうが有利な場合あり。
コメントありがとうございます。まあ、『トイレが無い』よりは、あった方が良いですよね。JR東海さん、そういうコトなので、宜しくお願いします。
むかーし、113系の便所は線路が見えてた気がする
コメントありがとうございます。そうです、『むかーし』の話のつもりで、私もこの動画をUPしたんですが、他のコメントを拝見すると、何やら結構最近まで、『垂れ流し』してたみたいです。まあ、初老のワタクシの『最近』という感覚は、ほぼ過去20年前くらいまでを指しますが……。(笑)
私と同じ昭和世代(昭和33年生まれです、私は。)の人は、みな同じ経験をしていらっしゃるのですね。懐かしいやら後ろめたいやら複雑な気持ちですね。
コメントありがとうございます。ワタクシも、これほど『同世代』の皆様からコメントを頂けるとは、全く思っておりませんでした。(ど底辺RUclipsrですので…汗&笑) 何と無くですが、このコメント欄が、昭和生まれにとっては、これまた懐かしい『駅の伝言板』みたいな感じで、ちょっとオモシロイです。(^_^)v
大井川鉄道では今でも現役だぞ 鉄道唱歌大井川鉄道いってみよーオンボロ客車にごとごとと揺られてお腹が働くよ 当然もよおす世の定め慌てて駆け込む厠へと線路の見えるその上でブリブリひりだす三日分 日本中で愛される川根のお茶へ香りづけ♪♪
実は大井川鉄道には、台風の被害を受ける前にロケに行ってました。『道の駅川根温泉』の近くで、トーマスの通過シーンを撮影したのですが……。大井川鉄道が全線復旧するという吉報を耳にした時に、大井川鉄道関連の動画をUPしたいと考えております。コメント、ありがとうございました。
これが故に保線関係職員は勤務中の入浴が労使協定で保証されていた。それは決して怠惰では無い。集約型労働に於ける感染症対策であったのだ。然しながら国鉄末期、マスゴミ総バッシングを受けた煽りから使用者側による浴室締め出しが行われ、一方的な協定破棄・職場闘争による労使荒廃へと繋がるのであった。
コメントありがとうございます。私もかつては『総評系』の活動経験がございます。当時としては、さまざまなイデオロギーの対立や、主義主張の隔たりがあったことから、米資本の介入工作を許してしまい、結果として『労働戦線の統一』が果たせずに、正直、砂を噛む思いをしておった一人です。そして今、思います。『昭和は輝いていた』と……。、
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 総評系でしたか、ご苦労様でした…仰る通りで、労労対立を続け産別化へ脱皮出来なかった事は現在でも尾を引いています。以前、旧職場の助役(鉄産労→連合系)と対談した際も「産別化しないにせよ、組合が大同団結して政治の方は民社党一本で行けば安泰だった筈」と話していましたが実際のところ如何でしょうか?ぼかしますが私は現職で、今は全労連・全労協系に両肩を預けている全国組織の者です。
コメントありがとうございます。そこまでお話を聞かせていただけて、大変、恐縮しております。私も以前は、『旧・総評』『公労協』から『連合』へと移行した組織に在籍しておりました。定年間際の身の上ですので、敢えて大胆に言わせて頂ければ、多分、『連合』という巨大組織が、『組合員を守る事』を蔑ろにして『組織を守る事』に心血を注いだ結果が、今日の日本の『歪んだ産業構造』や『壊滅的な経済財政状況』を招く大きな要因だったと思っております。『賃上げを第一義的に要求してこなかった連合』『本工主義に徹して、非正規社員をオザナリ(ナオザリ?)にした連合』……日本最大のナショナルセンターが、こんなザマですから、この国は救われませんよね。しかし、それだけ『組織維持』に傾注せざるを得ない状況の根底には、戦後から続いていた『労労対立』の根っこが、あまりにも深かった事が起因していると思っています。「終戦後に進駐したGHQによって、民主化の一環として労働組合なるものが日本全国に誕生した。」と、歴史の教科書には書いてありました。一方、東アジア進出を目論んでいた当時のソ連は、終戦末期のドサクサに紛れて日本に対して食指を伸ばし始めると、その足掛かりを構築する為に、シベリア抑留者に対する徹底的な『洗脳』行ってから、日本本土へ『引揚者』という体裁で、後に左翼運動の活動家となる『社会主義者』を送り込んだと言われています。ある意味、「戦後から続いていた『労労対立』などというものは、言わば『東西冷戦時代』の米ソによってもたらされていた!! 」と、私なんかは思っています。そしてそれに『気づくか?』『気づかずか?』は 別にして、今現在でも「労働者は、考える事を封殺されたまま、ただ搾取され続けている。」という状況が、悲しいことに、ずっとずっと、続いているのではないでしょうか?長くなってスミマセン。定年間際のジジイの愚痴だと思って聞き流してください。 (笑)でも、昭和の頃には、『春闘』などのデモで日比谷あたりの道路を行進していると、必ず機動隊が隣りにいたものですが、今では、交差点あたりに女性警察官がマイクを持って、「デモ隊のみなさ~ん、信号、守ってくださいね~。」と、カワイイ声で囁いてるんですよね!?世の中、変わりました。
まあ〜昭和の良き時代と言ってもね〜😅たぶん今の若い人には絶対に無理だな!トイレなんて和式それも場所によってはボットン副産物としてはハエがブンブン臭いもブンブン綺麗だなんて二の次!まあー高級ホテルでも今の人のレベルでは無理だろな〜もちろんシャワー付きなんて無いし消臭剤の臭いもきつい!見たくれで憧れるのはいいけど現実はハンパ無く甘くないぞ!
コメントありがとうございます。そういえば昔は、自宅のトイレの便槽(穴)に、直接、消臭剤を投入していましたね。確か『シャット』という商品名だったと記憶しています。テレビのCMでも観た記憶があります。CMと言えば、やはり昔、農機具のCMに桜田淳子さんが出ていましたよね。当時、ワタシは、『百恵ちゃん派』ではなく『淳子ちゃん派』でした。懐かしい記憶を呼び覚ましてくれたコメントに、感謝いたします。 m(_ _)m
駅のトイレも凄く汚く臭かった。野糞が当たり前の時代だったから
コメントありがとうございます。最近は、ホントに綺麗なトイレが増えましたよね?昔は『綺麗なトイレ』といえば、デパートやホテルのトイレくらいでしたもんね。まあ、今でも、公園のトイレや地方のスーパーのトイレは『それなり』のところもありますが・・・、コチラは『お借りする側』ですので、感謝しながら使わせて頂いております。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び そうですね、自分が用をする時に汚かったらとても気分が悪くなるので、後の人にも気分良く使って欲しいので、綺麗に使用したいですね、今はどこにもコンビニが有るので有難いです。学校のトイレもポッチャンだったけど、当時は当たり前だったのでトイレはこんなものって感じだったかな?
@@kamon535 確かに『コンビニトイレ』は、頻尿の私にとっては、本当に有り難いです。でも、どうしても『タダ』で利用させて頂くのは気が引けるので、必ず『缶コーヒー』を買うことにしています。……そしてまて、トイレが近くなる……。 エンドレス (-_-;)
もしかすると飛行機も垂れ流しだったかもしれない
コメントありがとうございます。確か飛行機も、昔は『垂れ流し』だったと聞いています。まあ、飛行機ならば、オシッコならば『雲散霧消』するでしょうし、そもそも、飛行機が飛び始めた頃の利用者数も、それほど多くはないと推察できるので、例え『大小垂れ流し』だったとしても、『被害』としては、計上されるには至らなかったのではなかろうかと推察しております。とはいえ、近年では、羽田空港へのアプローチコースとして、首都上空の通過が可能となりましたが、きっと、多くのビジネスマンが働いている大都会のお空の上では、パンツを降ろしてウ〇コをひねり出しているオッサンとかがいるんでしょうね?
門司港駅のトイレは、昔は、水栓の変わり、ドブネズミが、処理していましたね😂
コメントありがとうございます。昔はそんなこともあったんですね。外国では、トイレに豚を放し飼いにしていたトコロがあったことは知っていますが…。『チューチュートレイン』ならぬ『チューチュートイレ』ですね。
浪折裕一「水栓のかわり」って意味不明。
ステンレス製の便器駅と特急列車にあるね。
コメントありがとうございます。実は、このサムネのトイレは、近鉄のアーバンライナーのものです。(サムネ詐欺チックですみません)懐かしさのあまり、つい、撮影しちゃいました。多分、この画像がなかったら、この動画も制作して無いと思います。そして、このように、皆さんからのたくさんのコメントも、戴くことが叶わなかったと思います。そう考えると、近鉄特急のトイレとの『一期一会』に感謝です。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び さん昔の0系新幹線のステンレス製便器と青い薬液入り排水が印象に残っています。
ステンレス製だったが故に、子供の頃は、町中の洋食屋さんのカレーライスに、かなりの抵抗感がありました。(笑)
あと昭和時代の方が格段に治安が悪かったです。「旅に出たら現地の高校生からのカツアゲ(恐喝)に注意しろ」と言われていましたから(勿論日本国内での話)。通学時も平気で車内でタバコ吸っていたり・・・。
コメントありがとうございます。私の高校時代ですが、通学時間帯の『とあるローカル線』に、たまたま乗った時ですが、号車によって『真面目学生』『ワル学生』が分かれていました。その時、私は『ワル学生』車両に乗ってたのですが、車内の高校生は、全員が制服のままでタバコを吸っていました。『昭和』って、そんな時代でしたよね。(笑)
今から40年以上前の子供の頃、群馬の親戚の家へいく際にいつもの急行りょうもう号ではなく準急で移動した時、どこの駅かは忘れましたが、地元の高校生集団が乗ってきて、当たり前の様に車内でタバコを吸っていた光景に驚いたな。車両は今でも現役の通勤型8000系でした。乗務外移動中の東武の運転士か車掌も制服姿で客室にてくわえタバコしながらスポーツ新聞を読んでいたのも。後から知ったのは当時の東武鉄道では郊外区間になると通勤型車両でも車内喫煙可能だった事。
私が体験したのは、両毛線において、高校生が堂々と喫煙していました。(佐野と足利の間あたりだったかな?)今からもう、40年以上も昔の話ですがね。そして東武宇都宮線の運転士さんは、その昔、座布団と少年サンデーを抱えて運転席に乗り込んでいましたね。勿論、運転席の横と後方は、遮光幕等で外界と遮断していました。どうやら東武の車両の運転席は、『マン喫』の元祖みたいですね。もう半世紀前の話ですが…。
惑星の大便者に聞こえてしまったw
コメントありがとうございます。この動画を、6分以上もご視聴いただき、誠にありがとうございます。『あっ!!』 『オイ!!』 『わっ!? 臭ぇ~!!』の代弁者として、感謝もうしあげます。
俗にいう直下式だったもんな🙄💬便器の穴の中から線路が見えていたという🙄🙄🙄
コメントありがとうございます。お尻から出したウ〇コが、絶妙なタイミングでポイントのトングのところに挟まったりしたら、切り替わった瞬間にグニュッと潰されてしまうのか……。などど、変な想像をしてしまいました。(笑)
上野駅のホームは列車が出るとウンチてんこ盛りだったと聞いた
確かに停車時間が長い駅では、その分、車外へ放出する排泄物が増えますよね。『停車中はトイレを使用しないでください。』という注意書きも、襲い来る強烈な便意には、何らの抑止効果も無いですもんね。でも、そんな上野駅のホームでも、13番線にあった『立ち食い蕎麦屋』は、けっこう美味しかったと記憶しています。コメントありがとうございます。
そうですよね。線路がみえましたもんね。垂れ流しですよね。昭和はよかったぁ。
コメントありがとうございます。ちなみに、サムネで使用した『和式トイレ』は近鉄の名阪特急のモノです。近鉄さんの名誉の為に書き添えますが、もちろん『垂れ流し』ではありません。でも、『トイレはステンレス』と思っていましたが、近鉄さんのは『陶製』に見えますよね?オールドスタイルの『和式』にもかかわらず、何故か『斬新』で『スタイリッシュ』に見えてしまいました。(笑)
雨の日のアンダーパスなんて最悪でした。
いや~、『雨の日のアンダーパス』ですか………。想像しただけでも、背筋が寒くなりますね。ホント、想像したくないですよ。ましてや、ヌメ~っとした湿気がカラダ中にまとわりつく、蒸し暑く鬱陶しい梅雨の頃なんかじゃ、スエたような、腐ったような、発酵したような、吐き気を誘う不快極まりない『臭いの粒子』が、鼻の粘膜を刺激しながら、自分の肺の中に入ってくるなんて……、いや~、ホント、想像したくないでね。コメントありがとうございました。
最初の警告分通りに食事中に見る物では無いわ( ;-`д´-)カレーライス食べている時にう◯この話をするパターンに似ている
コメントありがとうございます。小学校の給食でカレーが出た日は、クラスの男子全員で『ウ〇コ』の話をしてた記憶があります。そんな時代でした。 m(_ _)m
昔の鹿は線路なめてたんかな?
コメントありがとうございます。『塩分』や『ミネラル』の補給には、ひょっとしたら役に立ったかもしれませんね?鹿などは、山奥の寺や社の柱などを嘗めてるなんて話も、どっかで聞いたことがありますからね。まあ、自分の尿を飲む『飲尿療法』なるものも、巷では結構(?)浸透しているみたいですので……。でも、他人様の『糞尿』は……、ちょっと……、勘弁ですね。
3:22 チクビーム末期色
乳腺炎の悪化? コメントありがとうございます。(返信しづらいですが……汗)
昭和がいい時代だったはずがない。喫煙者は今とは比較にならないくらい多く、教師や親の子どもに対する暴力は当たり前とされ、道を歩けば犬猫の糞がいたるところに落ちていて、もちろん飼い主が持ち帰る習慣など無く、ごみのポイ捨ては子供から大人に至るまでごく普通に行われていた。排ガス規制など実施される前で、幹線道路を30分も通行すれば顔が真っ黒になった。特に大型のディーゼル車がひどかった。毒性の高い有鉛ガソリンまで使われていたくらいだ。当時の建築物や工業製品にはアスベストが大量に使われていて、処分する上で大問題になっているが、体温計には水銀が使われていたりPCBが電気設備を含むいたるところに使われていたことを考えれば当時は今の中国並みに規制が緩かったと言えるだろう。
コメントありがとうございます。確かにおっしゃる通りです。昭和の頃の日本は、特に『高度経済成長期』の頃などは、現在の中国を批判できないほど、『何でもアリアリ』の時代だったのではないでしょうか?そして、もう少し時代を遡れば、私達が住んでいるこの国は、300万人以上の犠牲者を出した『半ば自暴自棄な戦争』をしていた国なんですよね。多分、私などは、もう『昭和の生活』には戻れないでしょうね。『薪で沸かす風呂』や『井戸から汲み上げる生活水』、『エアコンの無い真夏の猛暑』『ファンヒーターの無い真冬の朝』など、正直言って、そういう生活に戻ることは、もう無理かもしれません。そう考えると、令和になった今現在も、決して『いい時代』とは言えないのかも知れませんね。
昭和に生きた人達はそんなことはだれでも知っている。キミにそこまで細かく言われなくても。そんなに日本を卑下した書き方は不愉快だ。大事なことはその時々に世界のレベルと日本を比較しなさいと言いたい。フランスが世界有数の「香水」生産国になった理由を知っているかい?昭和の悪口をここまで書く前に、じゃあおなじころ世界の衛生管理状態等はどうだったか考えてみなさい。当時仕事で先進各国をめぐる機会が何度もあったが、世界の現実を見れば、日本の水準は高いと感じたのは私だけではないと思う。そこまで自国(ひょっとしてあなたは外国の方?) を貶(おとし)める必要があるのだろうか?
先々週、23区内の駅で久しぶりに和式トイレ使ったわ錦糸町駅。洋式と和式が半々で、洋式だけが変に不自然に汚されてた。急速な周囲の再開発に、駅の整備が追い付かないのかなぁ?
何と無く、地方(田舎)に行くと《和式率》が高いような感じがしませんか? あと、京都も結構《和式率》が高いんですよ。三条駅なんかほぼ和式オンリーでした。なので、「京都って、結構『田舎』なんだなあ~」と、カミさんに言ったら、「この辺りは、着物を着る人が多いから、わざと和式トイレが多いのよ。」と、蔑まれた目で、冷たく呟かれました。コメントありがとうございます。
「停車中は使用しないで下さい」長いトンネルの入る前に車掌から「トンネル内では作業をしていますのでトンネルを内ではトイレの使用をご遠慮願います」といわれた。さらにトイレドア横に、東京⇔✕✕間は使用しないで下さい、標示されていた。
コメントありがとうございます。昔と今とでは、『高架区間』の割合が全然違いますもんね。『高架区間』を走行中にトイレを使用すると……。沿線の皆さんはタマッタモンじゃないですもんね。(-_-;)
面白おかしく作られていますが、実は凄く考えさせられる動画ですね。
コメントありがとうございます。そのようなご評価を戴き、大変、恐縮しております。
制作した定年間際のオヤジとしては、残り少ない人生を振り返って、『愚痴』をこぼしているだけです。(笑)
これからも『昭和生まれの近所のジジイ』として、事あるごとに愚痴っていきますね。
そうなんです、自分も強く共感しましたです❗🥹
JRが国鉄という組織だった時代、垂れ流し式トイレ列車には「停車中は使用しないでください」という注意書きがトイレのドアに貼ってあったような記憶があります。
ガタンガタンと激しい揺れに耐えながら、走行する列車のトイレでおしっこをすると、便器の穴から覗くその下に、右へ左へとスイングする銀色に輝くレール上へ、走行風に煽られ飛び散る我が小水の様子が、列車での長旅を脳裏に焼き付ける一場面だったと今でも記憶しています。
コメントありがとうございます。おやおや、これはこれは、失礼ながら、ワタクシと同世代の方とお見受けいたします。『電車の旅』の旅情を醸し出すものにも、様々なものがありました。一つは、停車駅での駅弁の立ち売りだったり…。また一つは、変な味がする車内の洗面所の水だったり…。そして、トドメは、便器の穴から覗き見る、銀色に輝くレールでした。特に、便器の穴から見えたポイント部の離合は、不規則なジョイント音と相俟って、ある意味『感動』を覚えたものです。今ではとても懐かしい『昭和の鉄道旅の風情』です。分かる方には、分かって頂けると思います。 (^_^)v
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛びトイレ内は薄暗くて、ガガン、ガガン、ゴー❗という音もスゴくて子供ながらに怖かった記憶ありますね😅
90年代中頃、当時の御殿場線用の115系は汚物処理装置未設置だった為、国府津駅の御殿場線ホームの車両トイレ付近の線路には茶色の山ができてましたね(笑)
コメントありがとうございます。その頃の御殿場線って、そんな感じだったのですか……。
私も昔、東武鉄道と国鉄が乗入している『とある駅』で、線路のバラストの色が、各々で全く違う光景を見た記憶があります。東武鉄道のバラストは、どちらかと言えば『白っぽい灰色』で、国鉄の方のバラストは、線路のキワが『こげ茶色』でした。小学校の遠足での思い出です。
テレビで昭和を懐かしむ番組が放映していますが昭和を知る自分としては列車や公共施設のトイレ事情を考えると昭和には戻りたくありません。
コメントありがとうございます。『昭和レトロ』を売りにした観光施設やレジャースポットのトイレを、全て和式の『ボットン便所』にしたり、食堂で出す水は、カルキ臭い『水道水』、当然、夏場もエアコンなどは無く、氷の入った『冷やし中華』を顔から汗を吹き出しながら喉の奥へと流し込む。
どうせやるなら、ソコまで徹底して欲しいです。(でも、これは『バツゲーム』かも?……… 昭和の生活は『バツゲーム』? )
激しく同感です‼️😉 コンビニやケータイ電話ないなんて死んじゃいますわ。まあ今より良かったのは映画やテレビ番組くらいですかね?🥴
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛びブハハハ~❗😆🤣 確かにそうかもです。けど電車は冷房なかったけど今よりも味わいあったし、映画やテレビ番組もオモロかったし、自分なんか未だウルトラセブン原理主義者名乗ってますんで❗🤩
コメ主さん、儂が幼少の頃、よく母にその件で怒られました。
でも列車の揺れがねぇ。(^^;
あと話は違いますが親戚の横手から湯沢に移動する時に牽引式の客車はドアが空きっぱなしで「これで大丈夫なんか?」思ってました。😅
コメントありがとうございます。
ワタシも小学生の時ですが、東北本線の間々田駅近くの踏切で、ドアを開けっ放しで走っていた客車を見たことがあります。
そしてそのデッキのところに、一人の物憂げな眼差しの青年がポツンと立って、流れゆく景色を眺めていた光景を、何故か今でも鮮明に覚えています。
その時、まだ少年だったワタシは『アブナイ!!』という思いよりも、『なんかカッコイイ!!』と感じてしまい、『ボクも大人になったら真似してみよう!!』と、固く心に誓ったのではありますが、ワタシが大人になった頃には、そんな客車にお目にかかる機会は、もうすっかり無くなってしまいました。
大人になれば、チョコレート食べて、いろんなことを考える……。と、大場久美子さんが歌ってた通り、件の青年も開けっ放しの客車のデッキで、きっといろんなことを考えていたのでしょうか?
大変おもしろく見させていただきました。開放式便所など今や一つとして残っていない(のではないか?)ですから、そんな貴重な存在を窺い知ることができ大変興味深かったです。
コメントありがとうございます。お褒めの言葉を頂きまして、大変、恐縮しております。まあ、作ってる人間が『底の浅い人間』なので、あまり大した内容の動画ではありませんが、これからもチョイチョイ、奢った過去を戒めるような、危うい未来をディスるするような、そんな『屁理屈ジジイ』の動画をUPしていきますので、お暇な時には、是非、覗いてください。
解放式便所に一番困っていたのが当の国鉄な訳で、循環式などを開発したものの欠点も多くて特急など限られた車両にしか配備できなかったということですから、財政難以前に技術的に無理だったぽいですね
図書館の古い本で飛沫検証の資料を見たこともありますから感染症に無神経だったということでもないようで、無理なものは無理だったという感じ。
仰る通り『無理なものは無理』なのに、『無理矢理ヤっちゃってた』のが、正に『昭和』という時代なのかも知れませんね。集団予防接種でのB型肝炎問題や、小学校などの焼却炉で発生させていたダイオキシン問題など、今考えると、かなり恐ろしい時代でした。コメントありがとうございます。
JR東海の「リニア・鉄道館」に展示されているクハ111-1のトイレが垂れ流し式だったので恐怖のあまり身震いした事を思い出しました。
『リニア鉄道館』って、あおなみ線で行くところですよね? 以前、そっち方面に行った時に、何故か名古屋競馬場で降りてしまいました。まあ、昔、ワタクシ、さいたま市を走っているニューシャトルの『大成駅』の目の前に住んでましたが、未だに『鉄博』には行ったことが無いんです。自分でも笑っちゃうくらい変なヤツです。コメントありがとうございます。
「便器の穴から線路が見える」ありました!!
子供のころ、それを見て急に出るはずもののが出なくなり、トイレから脱出した私でした。
それにしても、トンネル内で作業していた保線作業員の皆さん・・・本当に頭が下がります。
コメントありがとうございます。本当に、当時の保線マンの方には『感謝』です。最近は歳とったせいか、結構ナンデモカンデモ『感謝』しています。ワタシが稼いだ金で美肌化粧品を買う妻にも『感謝』 パソコン作業中に膝に乗ってくる老猫にも『感謝』 昨夜は、テレビに出演していたドリフの加藤ちゃんにも、『ありがとう』と心の中で言っていました。(悟ったか? それとも『お迎え』が近いのか?)
人身事故の後始末よりはマシかと思いますね😓
私も子どものころ、高山本線の普通列車で、トイレに「停車中は利用しないでください」というプレートがあったのを覚えています。(車内放送でも流れる。)
そして誰が書いたのか、そのプレートの横に「使用中は停車しないでください」と落書きされていたものですw
【補足】JR車両では、まだ垂れ流しトイレが残っています。JR全社では「2024年度中には全廃します」といっています。まだ残っていることも衝撃ですよね
コメントありがとうございます。いや~、JRでは、まだ『垂れ流し列車』が健在なんですね? これは驚きです。
しかしながら、これを『昭和レトロ』といって、懐かしむ気にはなれませんね。
その前に、『和式スタイル』のトイレを目の当たりにした瞬間、今のワタシの足腰の状態では、
もはや、便意も戦意も、完全に消失しちゃいます。
何線ですかソレ? かなりの地方路線でしょうかね😅
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び同じくです😁 よほど切羽詰る場合でない限り高速道路のパーキングエリアのトイレで和式は絶対入らんですわ😅
とにかく昭和の時代の鉄道のトイレは線路が見えたのは事実で今にして思えば環境面や衛生面を考えればとんでもない事をしていたんですね。今のトイレはタンク式になり環境面や衛生面は良くなりましたね。それに国鉄時代の車両のトイレは暗い臭い汚い狭くて良いイメージが全くなかったですね。今は広くて明るく綺麗になりましたね。
コメントありがとうございます。とかく現代では『感染症』に敏感なご時世ですから、旧来の国鉄トイレは、『糾弾の対象』になるかも知れませんね。在来線のトイレが新たな感染原になる…、つまり『在来線の新感染(シンカンセン)』などど言われたりして……。またまたツマラナイことを言ってしまいました。申し訳ございません。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び😆😆❗
更には駅のトイレも汚くて余程のコトない限りは利用しなかったもんでしたな😅
平成初期、18きっぷで関東から関西に向かった時、国府津と熱海にトイレ使った跡が有った。静岡の113系の一部、115系の全ては垂れ流しだった。
コメントありがとうございます。
平成初期に『青春18きっぷ』ということは、私と近い年齢ですね。
あの頃はJRも、まだまだ『国鉄時代』の遺産を引きずっていましたよね (まあ、今でも引きずっているトコロが散見されますが…)
私はその頃、大宮に住んでいまして、『お昼前の大宮駅』にて、かなり凄惨な状況を見た経験があります。
鉄道会社
「これぞ最も有効な沿線撮り鉄対策。ウチの車両のトイレは、全て『自然分散式』に変更だ!」
有機肥料を撒き散らし、撮り鉄さん達を蹴散らした後は、きっと、綺麗な花が咲きますよ。(笑) コメントありがとうございます。
私はこの方式のトイレは無縁ですが、昔いた職場の年配の人は実家暮らしの頃、千葉県の外房沿線在住で子供の頃は学校から「どんなに近道でも登下校時は線路のそばを通ってはいけません」と注意喚起されていたそうです…かかる可能性もありますが、線路沿いはやっぱり臭いもあったそうで夏場は特に暑さで臭いが嫌だったと聞いた事があります…
コメントありがとうございます。確かに『盛夏の頃』や『梅雨』の頃のジメジメとした空気が充満しているトンネルの中などの高温高湿度の環境下では、想像出来ない程の状況だったと思います。ホントにその頃の国鉄の『保線マン』の皆さんには、昭和生まれの人間として、今更ながらではありますが、感謝しています。
かつて西武鉄道では都会で収集した下肥を貨物列車として郊外へ輸送していたので、踏み切りで待っていただけでも、その飛沫を全身に浴びたと言う。
コメントありがとうございます。昔は関東地方の私鉄も、結構、貨物列車を走らせていましたよね。
東武鉄道が、葛生からの石灰や、大谷からの石材を運んでいた様子は、うっすらと記憶しています。
今でも秩父鉄道は『セメント』を運んでますが、あと何年かの後には、廃止されてしまうのかもしれませんね。
少し、淋しい気持ちです。
西武池袋線の過去を知ってる世代が「ウンコ電車」と呼んでいたの思い出しました(笑)
コメントありがとうございます。
ボディーが黄色だから『ウンコ電車』というワケじゃないんですね?
歴史的な背景を深掘りすると、色々なモノが見えてきますね。 (笑)
@@zubizuberpapa😁😁❗
昭和26年生まれです。
大小便処理にはとても
汚ない環境でした。
定期的にバキューム車輌で屎尿汲み取り業者(行政委託)が 家の便所の汲み取り口にバキュームホースを入れて
車のタンクに大小便を
汲み取ってくれました。我が家は、業者さんへの手数料を(当時 1回50円)を便所の窓の枠に紐でくくって吊ってました。今の表面上
衛生上綺麗で清潔な住環境も、大小便排出や
下水道やゴミ処理のシステムを 潰すと地獄になる。豪雨でタワーマンションのトイレが使え無くなった、便器から大小便が洩れ 汚物が
蔓延した 高級住宅地
が 日本中 で 黄色に染まる。
コメントありがとうございます。
人生の先輩の方から、お言葉を頂くことは、大変有難いことと感謝いたしております。
何時からこの国は、『後先を考えない国』となってしまったのでしょうか?
大規模停電が発生した時には、途方に暮れてしまう『オール電化の家』
廃車した後に困ってしまう『電気自動車のバッテリー』
ハブだけ食べると思ったらクロウサギを襲った為に、税金まで投入して駆逐された『奄美大島のマングース』
そして、言わずもがなの『トイレの無いマンション』と揶揄され続けている『原子力発電』
そしてそして、こんな事を言いながらも、結局はこの国で、ヌクヌクと生活している『還暦間際の私自身』が、自分でも歯痒く感じている今日この頃です。
今の列車トイレや駅のトイレは見違えるようにキレイになりましたね。昔の急行や特急のトイレのあるデッキはアンモニア臭がひどかった記憶があります。
コメントありがとうございます。ホント、今のトイレはキレイですよね。
特に、駅のトイレが格段にキレイになったような気がします。
関係者の方々には『感謝』です。 アリガタヤアリガタヤ…。
しかしながら、一概にそうかと思えば、実は違ったりして‥‥。
中京地区を走る『赤い電車』の大手私鉄の、最大ターミナル駅のトイレは、なかなか???でした。
特に、下腹部から突き上げてくる『急激な便意』に襲われたワタクシが、オモムロに、駅のトイレに飛び込んだ時、
目の前に『一回分60円 10円硬貨のみ』と書かれた『ティッシュぺーパーの自販機』がありました。10年くらい前の話です。
その時、小銭入れの中を漁ったら、辛うじて10円玉が6枚ありましたが、もしも、それが無かったら……。
今考えても、きっと恐ろしい状況が展開されたことと思われます。クワバラクワバラ……。
安中市の鉄道文化むらにもオハネ11がこのトイレのままで展示されています。車内公開で案内すると親子連れなんかは驚きますね。
コメントありがとうございます。横川の方へは何度も行ってますが、殆ど、『おぎのや』さんの『峠の釜めし』ばかり食べてました。
今度、また行く機会があったら、バッチリと撮影して参ります。 (^^)v
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び母親の田舎が長野の上田なんで子供の頃よく信越本線の上野始発で行きました。その最初の時は客車列車の鈍行で列車トイレ初めて経験して怖いイメージでしたな😅 けど碓氷峠越えの長いトンネル区間の異様な雰囲気は覚えてまして、その時に買った「おぎのやの峠の釜飯」の容器は未だ捨てられずに持っております😄
そうですか😃 もしかしたら自分が子供の頃に信州出身の母親の田舎行く時に乗った車両かも知れませんね🥹
国鉄の代名詞
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/『停車中は使用しないで下さい』\
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コメントありがとうございます。
『停車中は使用しないで下さい』の注意書きは、子供の頃から幾度も目にしていましたが、ふと、「もし用便中に停車した場合は、どうなるんだろう?」と、幼い頃に思い悩んだことがありました。
小ならニョー道を、大ならケツの穴を締めればいいのでしょうが、あの頃は可能だったとしても、還暦間際の現在のワタクシの括約筋では、そのような芸当は、もはや『困難の極み』となりました。(笑)
昔、経験が有ります😭、時代は、すっかり変わりました😃。、、、
子供の頃大宮駅のホーム線路下にかなり立派なブツがありかなり衝撃でした。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び😆🤣❗
@@hayato0905y自分は上野駅停車中の169系のトイレからボトボト💩落ちるのを間近で見たコトあります😅
走行中の旧型客車のトイレはレールと枕木が見えていましたね。
実家近くのローカル線の脇を流れる川に魚を捕りに行く時に線路を歩いて行ったのですが、ウンコと紙が落ちていましたね。
国鉄に入社した新人さんは、最初はみんな現場作業をやらされるらしく、東海道山陽本線の寝台特急の機関車の車輪に異常が無いか
停車中に軍手をはめた手で触って点検するとウンコだらけになったと聞いたことがあります。
コメントありがとうございます。
布製の軍手がウンコだらけになったとすれば、絶対に、中まで浸透しちゃいますね。これはキツイですね。
(それとも、軍手に下に、薄いビニール手袋をはめていたのかな? 妄想が止まりません。)
昔、子供の頃に見た『バキュームカー』のオジサン達は、厚手のゴム手袋をはめていた記憶があります。
そして、クルマから汲み取り口まで伸びている太いホースに乗っかっては、
その中を通り抜ける『有機固形物』の感触を、足の裏全体で、感じ取って遊んでいました。
昔は、ホント、生活のそばに『ウンコ』があった時代だったんですね。
垂れ流し式の普通列車のトイレには「使ってくれるな」と言わんばかりにトイレットペーパーが無かったですね。
また「特急車両配置のため、電車区に下水道を引いてくれ」と来て、下水道が引かれたものの、
電車区に隣接する駅のトイレがボットンのままと言うマヌケな事例もあります。
コメントありがとうございます。ワタクシ思うに、人類の歴史から考えてみれば『水洗トイレ』の歴史は、『自然回帰(ノグソ)式』や『ボットン式』に比べれば、まだまだ浅いんですよね…。今後、人間の文化が進んでいく方向性によっては、『昔はウ〇コを水で流していたなんて、ホント、信じらんな~い!!』と言われる時代が来るかも知れませんね。でも、きっとその時は、水資源が枯渇寸前の『人類の存亡の危機』を迎えている時代なのかも知れません。 (-_-;)
「停車中は使用しないでください」ってほかにも
駅の放送で「列車がよく止まってからご乗車ください」ってのもありましたね
コメントありがとうございます。
昭和の頃には、機関車が引っ張る客車の中には、まだまだ手動式の乗降ドアがありました。
これって、走行中にも、開けることが出来ました。
今考えると、かなり恐ろしいことですよね。
そう言えば、昔、TDLが開業したばかりの頃に、『ホーンテッドマンション』のライドに乗ってて、
最後に、ライドが止まってから降りようとして、もう少しで『2周目』に突入しそうになった記憶があります。
ちなみに、『ホーンテッドマンション』はEチケットが必要でした。 (今の人には、理解不能かも・・・)
@miharu3748
「列車がよく止まってから・・・・」のアナウンスと、トイレとは全く関係ないでしょう❓
当時の列車には「ドア」 がなく、オープン状態だったので、列車がきちんと停車する前に、飛び乗り客や、飛び降り客が結構いたんですよ。そうした人達への注意アナウンスですよっ‼️
宇都宮線、高崎線の普通列車にも「上野~大宮はご使用をご遠慮下さい」とトイレドアに表記してありましたね
そんなことも、ありましたっけねぇ~。 でもワタクシは、【上野~小山】【上野~高崎】【上野~土浦】は《禁煙》だったというコトの方を鮮明に覚えていますよ。マイルドセブンが200円だった頃ですよ。(笑) コメントありがとうございます。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 非電化時代の川越線はボットントイレでしたね
返信 ありがとうございます。確か冬期は、ボタンを押さないと、ドアが開かなかったような記憶があります。真冬の大宮駅では、折り返し運転の為に、吹きっ晒しのホームに、結構長い時間、停車していましたからね。ある意味、ドアが開閉出来て助かりました。
これに乗って、川越の『時の鐘』を見に行った事を思い出しました。昔の懐かしい記憶を呼び覚まして頂き、ありがとうございます。
東海道線にもあった、東京横浜間は使用を控えてくださいと、横須賀総武本線にはなかったが
@@尾崎憲行 横須賀総武快速線は地下区間乗り入れがあるからタンク式だと思います
中央線普通列車にも使用不可区間がありそうでしたね
阪和線でもトイレの使用はできませんでした。紀勢本線新宮電化後も天王寺~和歌山間使用禁止の張り紙が張っていました。またディーゼル列車(くろしおやきのくに号)でもトイレの使用はご遠慮くださいと言う放送が流れていました。
コメントありがとうございます。阪和線ですか!? (゚o゚;)
ビックリしました。
今現在、正に偶然にも、メインチャンネルの【猫解電鉄(にゃんかいでんてつ)】の方で、
『阪和線関連』の動画を作成中なんです。(前編・後編の2部構成です)
多分、このコメントを書いた3~4日後にはUP出来ると思いますので、
ご鑑賞の上、感想でも戴けましたら、大変ありがたいです。
平成になっても東海道線はボロい113系だった。ある日トイレに行きたくなってちょうどグリーン車にあったので使おうとのぞいたらウ○○がベットリついていたので使わなかった。小学校の修学旅行で乗った167系は、トイレの下から地面が見えてました…
コメントありがとうございます。私も子供の頃に、父の実家(山形県尾花沢市)に『急行おが1号』でお盆の帰省する際、当時は米沢駅で『牛肉弁当』を買って、食べるのを楽しみにしておりました。あの頃はエアコンやクーラーなどは皆無でしたから、車窓を全開にして食べていたことを思い出します。今考えると、恐ろしい話ですね。クワバラクワバラ…。
20歳まで昭和時代を過ごしたので、トイレの穴から線路が見える光景は、よく見てました!
コメントありがとうございます。ytyfiさんは、私とほぼ同じ世代の方なんですね。私も、電車のトイレから線路が見える事に関しては、『至極、当たり前』って感じで利用していたものです。多分、その頃を知らない今の若い人に、「俺は、昔、電車のトイレで、ウ〇コを垂れ流していた。」なんて話をしようものなら、きっと私自身が彼らから『ウ〇コを見るような目』で見られるハメになりそうです。(冷汗)
80年代後半、小学校の修学旅行で急行型車両の専用列車「かながわ」で横浜から日光まで行った時、事前の説明会で行きは大宮まで、帰りは大宮からトイレは使ってはいけないと言われましたが、理由は説明してくれませんでした。
コメントありがとうございます。
その当時の横浜の小学校は、修学旅行の行先は日光だったんですね?
…ってことは、宇都宮駅でスイッチバックして、日光線に入って行ったんでしょうね?
(その頃だと、栗橋駅の【JR=東武】の渡り線も、存在しなかった頃ですもんね。)
ところで、私の小学校の修学旅行は、『江ノ島・鎌倉』でした。
で、宿泊先は『横浜ドリームランド』でした。
確かに鉄道のトイレは最初は汚物は線路にたれ流しと聞いてましたよ!その後タンク式に改修したようですね!🤓
コメントありがとうございます。昭和の頃は『自然回帰主義』的なモノが、まだまだ蔓延っていた時代なのかも知れませんね。『自然回帰』って、なんかカッコイイ言葉ですが、単に『自然環境依存』って感じで、その頃のこの国の人々って、母なる地球に寄生していた害虫みたいな存在だったのかも? そしてそれは今でも、大して変わらないのかも……。
そうですね。止まってるときは使用し控えるようにでしたね?
コメントありがとうございます。
子供の頃、電車のトイレにしゃがんで用を足していた時、ふと、思ったことがありました。
「もし、用を足している真っ最中に電車が停車したら、僕はお尻を出してしゃがんだまま、電車が走り出すまで、我慢しなきゃいけないのか?」
そう考えると、出る物も出なくなりましたよ。 (-_-;)
カレー食べながら観てます
コメントありがとうございます。Q太郎様の男気に敬意を表します。何年か後には、ひょっとしたら『臭いを放つyoutube動画』が巷を席巻するかも知れないので、その時には、更に強烈な映像をUPさせて頂きます。まあ、まだこの世に居ればの話ですが……(苦笑)
大昔のIMEで「代弁者」とかが「大便車」に良く第一候補にでてきた昭和時代の記憶
コメントありがとうございます。『大便車』はイタダケませんね (笑) でもソレって、最近ではなかなか見られなくなった『バキュームカー』の事を表す言葉のような感じを受けますね。そう言えば、今、メインチャンネルの方で作成中の動画に、『生駒ケーブルの踏切を渡るバキュームカー』が映っています。宜しかったらソチラも観てください。(新作のPRのようで ゴメンナサイ (^^ゞ
朝の寝台特急通過は厳しい
コメントありがとうございます。
東北や九州あたりで食べたモノが、スガタカタチを変えて、東京方面に集まって来るってことですね?
もし、食物となる野菜や果物の種などが、未消化のままやって来て、東京近郊でバラ蒔かれたならば、
東海道本線や東北本線の線路際などで見事に育っていた可能性も、一概に否定出来ないって事ですよね?
昔、小学校で、「野鳥は植物の種を、広範囲に散布する。」と、担任の先生が言っていた事を思い出しました。
はくつる、ゆうづる、はやぶさ、やまばと、ひばり、かもめ、とき、雷鳥、しらさぎ、つばめ、白鳥、かもめ、はつかり……。
ナルホド、それで長距離特急の名前には、『鳥の名前』が多かったんですね? ナットクです。 (^^)v
コメントありがとうございます。
まったく同感です。私もかつて、大宮駅の近くに住んでおり、朝の『踏切待ち』が恐怖でした。
特に、カマボコ型の踏切では、垂れ流しの排出口が『目線の高さ』だったので、ホントに嫌でした。
今から30位前、当方通学で利用した国鉄気動車のトイレの扉に「(列車)停車中にトイレは利用しないで下さい」の注意書あった。なのに、列車交換待ち時間が長く、そのくせホームには、トイレ無し。本当に最悪だった。
コメントありがとうございます。単線でのすれ違いは、駅での待機時間が長い為に、結構イライラさせられましたね。でも、そんな交換駅のポイントって『スプリングポイント』(発条転轍器)のところが多いんで、ポイントを押し広げて通過していく列車を、『うお~~~』と叫びながら眺めていました。もう50年以上も前の話ですが……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び ご返信ありがとうございます。当方の地元なら、JR五能線板柳駅がスプリングポイントで、弘前行列車の最後部から見ると、ポイントが転換するシーンが見られます。
白神山地の辺りにお住まいなんですか? 今から20年以上前に『研修』という名目の家族旅行で、子供を連れて『白神山地』に行ったことがあります。団体旅行でのバス移動だったので『リゾートしらかみ』には乗れませんでした。でもバスガイドさんが、「海が荒れると五能線はすぐ止まる。なので『不能線』と呼ばれている。」と言って笑わせてくれました。
真冬の五能線のスプリングポイントでは、一晩中、カンテラを焚いているんですか? もしそうだったら、一度見てみたいものです。返信ありがとうございます。
(すいません、今から2~3日、取材旅行に出掛けますので、もしも『再返信』いただいても、リターンは少し遅くなります。)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 当方、津軽平野ど真ん中在住です。ただ、「リゾートしらかみ」には、何回か乗車した事は有ります。
自然の厳しい所にお住まいなんですね。さぞや厳冬期も頃は大変なんでしょうね。私などは、関東平野でヌクヌクと生活していますので、正直、雪国の厳しさを知る事がありません。しかし、そんな関東で生まれ育った娘が、昨年、鳥取に嫁ぎました。LINEで『雪下ろし』や『ママさんダンプ』などのワードが行き交っていました。なんとか娘も、『雪国鳥取』の地で、生活出来ているみたいで、親としてはホッとしています。
3:42昭和生まれの方がB型肝炎該当者になってると以前寺尾聰さんのテレビCMで報道してて、かかりつけの病院で採血してくださいと言ったら調べてくれます。自分も昭和末期で該当者ですが、検査の結果は陰性でした。
コメントありがとうございます。
『昭和の常識』が『令和の非常識』となりつつある今日、
私達のような『昭和生まれ』のオヤジたちは、世間様からは、どのような目で見られているか?
と、最近はそんなことを考えております。
小学校のプールの更衣室の天井は『アスベスト』
給食で出された牛乳のフタをカバーしていたビニールは、
『ダイオキシン』の煙を出しながら、校庭の隅の焼却炉で燃やされる。
ドッジボールで突き指をしたら、関節を引っ張る。
鼻血が出たら、首の後ろを叩く。
これらは全て、『昭和の常識』だったものです。
今、東北地方の太平洋側では、『汚染水』なるものが海洋投棄されそうになっています。
昭和の頃は『人糞』を海洋投棄していましたが、令和では『放射性物質』を海に流すらしいですね。
「十分に希釈しているから心配無用」と、どっかの誰かが言ってたらしいですが、
水で薄めた焼酎を、毎日50杯も100杯も飲んでたら、必ず肝臓を壊すでしょう。
『日本の海は、昔も今も、天然の浄化槽』
こんな考え方が、昭和から令和まで、この国の『常識』となっているのでしょうか?
ひょっとしたら『人類』という存在は、地球と言う名の『崇高なる生命体』にしてみれば、
単なる『厄介な寄生虫(ムシケラ)』なのかも知れませんね。
まあ、そんなわけで都市周辺部ではレコーディングが禁止になっていたそうな
この問題が顕在化したのは新幹線開業の時期で、流石に時速200㎞で垂れ流しはまずいだろうということになった
下手にトイレに行ったら、吸い出されて汚物と一緒に内臓が出るという、笑えない冗談もあったそうな
コメントありがとうございます。ホントに『昭和』という時代は、笑うに笑えない事が沢山ありましたね。でも、今の時代の方は『全く笑えない話』ばかりで、嫌になります。それだから『昭和レトロ』に郷愁を感じるのかもしれませんね?
東京駅で停車した0系から排水されてたのは違うのかな?
少年ジャンプに連載されてた「トイレット博士」って漫画に黄害列車ってネタにされてました
それから岡山駅で線路のトイレの穴が来る位置にステンレス製の箱が置いてあって
中に茶色いブツがこんもり盛られてたのは衝撃的でした
それって、永井豪先生のマンガですよね? 近所の床屋さんで、順番待ちの時に読んでました。そにこは『ジャンプ』『サンデー』『マガジン』もありましたが、『キング』を読むのが、結構、好きでした。
実は、来週、妻と『岡山』や『姫路』の辺りに行ってきます。『駅そば』を食べる予定です。(笑) コメントありがとうございます。
トイレット博士は
とりいかずよし先生ですよ。
それ以前は、客車寝台車の真ん中通路の床には、痰壺もありましたね。
コメントありがとうございます。
寝台車に『痰壺』ですか!? それは知りませんでした。
昔、銀座線だか日比谷線のどっかの駅の柱に、しっかりと備え付けられていたのを見た記憶はありますが…。
まあ、今の若い人には、絶対に理解できない『用途』と『存在』でしょうね。
『痰壺』と聞くと、『スネークマンショー』を連想するのは、ワタシ以外にも、結構、多いのでは?
昭和の時代は毎年春になると国鉄は1週間近くストライキして全面運休を繰り返し、その度に線路の上をひたすら
歩いて通勤したけれど、その時線路💩とチリ紙がとんでもなく多いので歩くのが大変でした。
タンクを付ければこんな💩だらけにはならないのにという発想は出てこず、仕方ないなかなとしか思いませんでした。
それに対してトイレの無い私鉄を歩くとき💩が全くなくて歩きやすかったのが懐かしい。
コメントありがとうございます。『交通ゼネスト』『順法闘争』『ワッペン闘争』『リボン闘争』……。昭和の頃は『春闘』が、年に一回の『お祭り』のようでしたね。でも、あの頃は『春闘』あっての『ベースアップ』って感じでしたよね。この国の賃金が、今までずっと上がらない要因の一つとして、もしかしたら『労組の弱体化』があったのかも知れませんね。
自分は根っからのて鉄ちゃんで 当時はそんな事大ぴらに公表すると根暗と思われがちで いまは鉄道ビック4が 堂々と明るくしてくれたけど(笑)
そんでもってバイトは国鉄の荷物係りで 手荷物券チッキと言うのを150円で発券したり 荷物列車に積み込む荷物の受け渡しをしていました。
高校は池袋の鉄道学校で、バイト先では国労と動労どちらに入るんだとまだ高校生のうちから決めさせられたりとチョツト怖い世界でしたよ。
今、メインチャンネルの動画作成の途中でした。なにしろ、定年間際のサラリーマンなんで、週末くらいしか時間が取れないもんで……。
『手荷物チッキ』とかって、今の若い人には全く通じない『単語』ですよね? そう言えば、私が上京(埼玉だから上埼?)する時に、当時は一時期、国鉄貨物が、引っ越し荷物を取り扱っていて、それを利用して荷物を送りましたよ。まあ、結果して案の定、予定日には着きませんでしたけど...。(苦笑)
国鉄民営化前の、方向性を見失った破れかぶれの『サービス改善策』の一環だったのかも知れませんね。
ところで、私も若かりし頃は、日比谷の野音で集会&デモ行進をさせられました。あの頃は『国労さん』たちが参加すると、必ず赤坂警察署の機動隊さんが大挙して来てたモンですよ。なので、集会に参加する前に、『今日、国労さん、来てるんすか?』て、必ず先輩たちに尋ねていました。
春闘、秋闘、総評、公労協、これらの言葉も、今じゃ歴史の教科書に載るだけの、乾燥した『単語』になってしまいましたね。
新幹線など開業時からタンク付きだったので在来線もできたはず。友達の家が在来線の付近で糞尿が風によっては飛んできた。裏の壁が黄色いんだよと。見なかったけど、なんかわかる。選択は屋内干し立った事実。
コメントありがとうございます。その時代、その時代で、『社会の許容力』ってモノが存在していたのかも知れませんね。たたし、ある意味『許容』は『犠牲』を前提にしている部分もあろうかと思います。当時の国鉄沿線にお住いの方々は、さぞやご苦労されたことと拝察いたします。
筒井康隆の小説は、線路際に引っ越してきた夫婦が黄害に悩まされ窓の外に板を設置した。しかし板の外はとんでもない事になっており、夫婦は憤慨してこの板を「国鉄」という題でイベントに出品した話だったと思いました。
コメントありがとうございます。筒井康隆さんの『近代都市』というタイトルの短編ですよね。
私が高校生だった頃は、筒井康隆さんの小説に『どっぷり』とハマった青春を過ごしておりました。
今になって考えると、『筒井オタク』は最強にアブナイかも? (何するか分かりませんからね……) ((+_+))
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
国鉄はそれに抗議、実情を知るために沿線に国鉄職員を立たせました。結果はティッシュがいくつか飛んでくる程度でしたが、その職員は翌日から数十回の下痢の末死亡したとか?50年近く前の記憶。アルツハイマーなのでご容赦を。
完璧な記憶ですね。お見事です。
私も最近は、昔の事ばかり思い出します。特に、筒井康隆さんや眉村卓さん、星新一さん光瀬龍さん、若桜木虔さんなどの作品の記憶が、断片的にフラッシュバックする時があります。
昔を懐かしんで、たまに古本に目を落とすのですが、老眼のジジイには、なかなか読み通すことが困難になってきました。(笑)
懐かしい。
国鉄在来線は確か、昭和47年の総武本線地下対策をした、183形、113形1000番台ATC搭載車が初めてじゃなかったかな?
コメントありがとうございます。113系1000番台って、総武本線と横須賀線が東京駅の地下でつながった時に走ってたヤツですか? 地下を走る電車が『垂れ流し』だったら、ホームで待っている乗客の皆さんは、どんな酷い目に遭ったんでしょうかね? 地下ホームじゃ、逃げ場が無いですもんね? 考えただけでも恐ろしいです。
写真の便器は12200系スナックカーではないでしょうか
コメントありがとうございます。
正解です。さすがです。
サムネには『国鉄』と銘打っていますが、画像自体は、2018年の5月に、【大和八木】から【近鉄名古屋】まで乗車した名阪特急のスナックカーです。
今では『懐かしい近鉄の名車』ですね。
いろいろなRUclipsrの方々が、スナックカーの走行動画などをUPされていますが、12200系の『便器』をメインに晒しているのは、きっとワタシだけかも?
当時は冷房も御座いませんので、旅する皆さん全員、駅弁を窓全開で車内で食べる訳ですよ……
コメント ありがとうございます。
ワタクシ、ガッツリと食べていましたよ。
忘れもしません、あれは小学生の頃でした。
東北本線の福島駅から奥羽本線を通って男鹿半島を目指す『急行おが2号』に乗ってた時に、黄ばんだ窓枠の車窓を全開にして、駅弁を食べていました。
何しろ、山形県の米沢駅あたりには、お昼ちょっと過ぎくらいに停車するので、その時に『米沢牛肉弁当』を、駅のホームで立ち売りしている駅弁屋さんから購入し、列車が発車した後に、車窓から入って来る涼しい風を受けながら、600円くらいのランチと、プラスチック容器に入っている安い味のヌルいお茶を、心ゆくまで楽しんでおりました。
今となっては、いい思い出の一つです。
昔、何故夏なのに線路脇に雪が残っているのかと思っていましたが...
コメントありがとうございます。
『残雪』ならば何と無く風流ですが、チリ紙の破片や惨たらしい排泄物が散乱した光景は、
漢字で表すと『惨泄』でしょうか? オソマツデシタ‥‥ (苦笑)
昔の列車は垂れ流し式だったなんて…
今は垂れ流し式は廃止されたのかなー??
コメントありがとうございます。
ウィキで調べたところ、2002年くらいまでは現存していたらしいです。
また、このコメント欄の『@user-gm9wz2fl4t』という方の情報によると、群馬県の横川にある『鉄道文化村』に静態保存されている車両では、その当時のままのトイレが見れるとのことです。
もしかしたら、今でも、どこかの地方の私鉄なんかで『旧・国鉄車両』を走らせているトコロは、今でも『垂れ流し』だったりして……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
もしかしたら、現在でもまだ垂れ流し式便所の列車が走ってるかもしれませんね!!
まさに黄害!💩😅
しかし自然に戻るので化学物質よりは遥かに地球に優しい 草
確かに目線を変えれば、有機系の物質ですもんね。この際『SDG’sの一環でした』と言い切っても、差し支えないかも知れません。コメントありがとうございました。
関東圏でも昭和末期から「このトイレはタンク式です」の表示がされた車輛が徐々に増えてはいたものの、平成初期の時点でまだ垂れ流し式は全廃されていなかった。
コメントありがとうございます。
『垂れ流し』が主流だった頃の、国鉄の線路脇には、色鮮やかな草花が咲き乱れていましたね。
『タンク式』が主流の今日では、そんな植物たちにも、お目にかかれなくなりつつありますね。
まあ、もっとも、都会では『立体化』が進んでいますから、草木が生えることも無くなりましたが…。
そう考えると、比較的早いうちに『立体化』が進んでいた、昭和40年前後の『国電』の車両にトイレを設置しなかったのは、
町中での『人糞空中散布』を未然に防ごうとした、当時の国鉄の思惑だったのでしょうか? 妄想が止まりません。 (笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
東京近郊の列車にトイレが無いのはそういう理由だったのですね。国鉄→JR全列車に当たり前にトイレが付いている地域に住む私にとっては辛いものがありますが。
因みに陶器製便器の垂れ流し車輛は水洗ペダルを踏んだときに地面が見える造りでした。ステンレス正便器だと地面を見えにくくするためかピッツァ状に切れ目が入った黒または茶色のゴムが付いていました。
『ピッツァ状に切れ目』……秀逸な表現ですね!?
ところどころに、チキンの照り焼きチックな『トッピング』が、頑固にちょこっと、こびり付いていたりして……(笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
「ところどころにチキンの照り焼きチックなトッピング」の方が秀逸です。確かにそう見えます!
お褒めの言葉、ありがとうございます。
小学校の頃にロクに勉強もせず、教科書の端っこに『ウ〇コ』や『チ〇コ』の落書きをしていたら、
こんなオヤジになっただけです。
還暦間際の現在でも、頭の中はガキのまんまです。(オハズカシイ‥‥)
昔「大宮から上野までトイレの利用を禁止させていただきます」という東北本線のアナウンスを思い出しました。
コメントありがとうございます。そんなことがあったんですね?
確かに【上野ー大宮】は、東北本線と高崎線(上越線&信越線)が、全線に渡って輻輳していますから、トイレの使用頻度も高かったことでしょうね。
しかも、結構、長い距離を乗る通勤客も多かったでしょうから、自宅でトイレに行かずして、
電車のトイレを使用する方々も、かなりの割合で、いらっしゃったことでしょうね。
高度経済成長期における、そのようなサラリーマンの皆さんが、きっと、今日の日本の繁栄の基礎を築いたのかも知れませんね。
まさに、日本の繁栄の基礎は、線路のクソが物語っていたんですね。
むか~し、鉄イベなんかで鉄道部品買ってくるとよく親に激おこされたっけ・・・
(# ゚Д゚)そんな汚いもん買ってきて!!それ、う〇こしょ〇べんいーぱいこびりついてんだよ!
って、今あったら超貴重なお宝になってたのみーな捨てられもーたわ( ノД`)シクシク…
コメントありがとうございます。貴重なお宝が捨てられてしまったのですね……。昔はヤフオクやメルカリなんか無かったですもんね。今なら手軽に、結構なお金を手にすることが出来たのに残念ですね。『う〇こ』だろうが『しょ〇べん』だろうが、今となっては貴重なお宝だったのに……。
雨の日にホームで待っていたらやけに臭いので見下ろすと線路にはブツ。
ふんばってる所に鉄橋へ差し掛かろうものなら冷たい風がケツをなでていくんだ。
コメントありがとうございます。私が子供の頃、古い自宅のトイレは、小窓が常時開放されていた『ボットン便所』だったので、真冬の早朝などは、極寒の中で下半身を露出させて、顔を真っ赤にしながら踏ん張っていたものでした。
平成から令和になり、若干、お尻の病を患っている初老の私は、今、そのような行為に及んだ途端、多分、肛門は裂け、脳の血管は破裂することでしょう。
TOTOさん、ありがとうございます。 m(_ _)m
広島市の平成初期は東京のお下がりの国鉄 深緑オレンジ 青クリーム車両のイメージでした
コメントありがとうございます。広島といえば、今から20年くらい前に乗った、
広電の緑と白の3両編成『3950形』が、とても印象に残っています。
確か、原爆ドームの方から広島市内に戻る時に乗車した記憶があります。(ん? 宮島の帰りだったかな?)
連接台車が醸し出す、心地い良いジョイント音に、心酔していました。
山陰本線も「京都~嵯峨間での使用は、禁止」やった。
特急でも481系初期は垂れ流しで、高速運転時の風圧が原因で、黄金水の逆噴射が発生したとか?
コメントありがとうございます。『特急列車の垂れ流し』って、ある意味、物凄い迫力じゃないですかぁ~!!
多分、海外へ行けば、そんな列車にも、お目にかかれる可能性があると思われますが、さすがに私が『ド底辺youtuber』でも、『再生回数増進の為に』とナリフリ構わず玉砕覚悟で、線路際でカメラを回す気には、到底なれませんよ。 (でも、来年あたり、そんな動画をUPしてたりして……。その時はgoodボタンをお願いします。)
筒井康隆さんの小説にも 「国鉄」があったなぁ。
コメントありがとうございます。『近代都市』っていう作品でしたよね。
筒井康隆さんの作品は、『七瀬ふたたび』とか『時をかける少女』なんていうのが有名ですが、私は、『農協月へ行く』とか、『コレラ』とか、そういったハチャメチャな作品が大好きでした。 オハズカシイ… (・_・;)
線路にたれ流しトイレは平成14年までありました
コメントありがとうございます。平成14年ってことは、今から約20年前くらいですかね。
ハリーポッターの第一作目あたりが公開された頃ですかねぇ~。
この歳になると、『ハリーポッター』って、つい最近の映画シリーズに思えてしまいますよ。
ってことは、やはり最近まで、垂れ流しトイレが存在していたんですね?
古い客車では、トイレから線路が見えているタイプもありましたね。
トイレは確かに水洗で、一見して清潔に見えましたが、垂れ流しとは酷い話ですね。
コメントありがとうございます。確かに、今考えれば『酷い話』ですが、
あの頃は『ごく普通の常識』だったんでしょうね。
『価値観』というものは、時代と共に移り変わるもなんでしょうね。
諸行無常ってヤツですかね?
ただし、平和を希求する心だけは、永遠に不変な『人類共通の価値観』であって欲しいと願いつつ、
そのうち『ハゲがカッコイイ』という価値観が生まれることを、毎朝、鏡を見ながら願っています。(笑)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 様、『ハゲがカッコイイ』そうです。同意します。ユル・ブリンナーみたいでナウくて、イカしていますね。
列車便所もさることながら昭和の大規模駅構内なんてションベンの薫りが漂ってたもんだしホーム上も線路もゴミくずやタバコの吸殻でいっぱいだった。⬅️みんなポイ捨て立ちション当たり前。でもあんなワイルドな経験をすることのなくなった今となっては、それが懐かしく感じられる。
乗務区所や保線区所には銭湯並みの風呂があるけど、アレも皆ウ◯コ浴びながら仕事してた見返り、と先輩社員が言ってた。
こんな不衛生なことしてても慢性の病気になった等の話は聞かない。人間の免疫力って大したもんだと思う。
コメントありがとうございます。かつての国鉄の分割民営化議論の中で、『洗身入浴』に関する批判(?)があったように記憶しています。私個人としては、労働者が勝ち取った権利の一つだと、生意気ながら思っておりました。今でこそ『デモ』も『スト』もない、一見、安穏な世の中になってしまいましたが、もしかしたら、日本人の所得が四半世紀も上がらない原因の一つが、この『安穏さ』にあるんですかね? 昭和の頃の『デモ』と『スト』……。 これはこれで懐かしく思います。(苦笑)
でも海外の鉄道では高速列車以外は、先進国であっても垂れ流しトイレが大量に残ってるんですよ。
日本みたいに垂れ流しトイレがほぼ消滅した国は非常に珍しいんです。
コメントありがとうございます。
海外の鉄道事情は、どこかで聞いたことがあります。
昔のヨーロッパの街中では、高層階の住宅の窓から『ウ〇コ』や『オシッコ』が、道路に廃棄されるのが日常だったらしいですからね。
また、ベルサイユ宮殿も『ウ〇コだらけ』で、物凄い悪臭に満ちていたらしいですもんね。
『糞尿の垂れ流し』に対する、各国の見識に相違があるのは、ある意味、致し方ないのかも知れませんね。
私は、イラストの形の車両に子ども時代に乗ったことがあるが、記憶してる限りはたれ流し形式ではなくタンク式(踏み流すタイプ)の和式トイレだった。
鉄道沿線で "黄害問題" と云われていましたね。
コメントありがとうございます。『黄害』という言葉をパソコンで検索していたら『横臥位』というワードがヒットして、思わずニヤッとしたことがありました。また、大阪の梅田の地下街を歩いていて、『いや~、成城石井やぁ~』と女性の方が言ってた時に、『嫌ぁ~、正常位しいやぁ~』って聞こえてしまい、『泉の広場』辺りまで、独りで妄想していました。(お恥ずかしい……)
中川家礼二さんが、国鉄のトイレのモノマネしそう
コメントありがとうございます。礼二さんにもモノマネしてもらいたいですが、
どきどきキャンプの佐藤さんに、是非、綺麗にお掃除してもらいたいです。
JR各社の関係者の皆さん、是非、さとうさんにオファーしてください。
それを、鉄道チャンネルの企画でやってみるのも一興かなぁ~ (笑)
うん‼️
垂れ流しトイレだった
コメントありがとうございます。
その頃は、列車のトイレを使った人たちのお陰で、国鉄の線路脇には、綺麗な花が咲いていました。
垂れ流しもそうだが、ある私鉄沿線の家の屋根瓦やその他が焦げ茶色に変色していたのはなぜか?
コメントありがとうございます。『焦げ茶色』ですか? トイレとは関係無さそうですね。
栃木県の『東武葛生線』や、その近くの、お蕎麦で有名な『出流山』の方だと、
石灰の粉塵で、道路や家屋が真っ白だったりしますが……。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
関西の阪急電鉄宝塚線だが電車にトイレは無かった恐らくレールと車輪の鉄粉が10m近く飛んで辺り一面焦げ茶色になっていたと思われる
現在では改善されて屋根瓦は黒い
ナルホド... 了解です。 (*^^)v
昔、蓮田駅のホームで待っている時に急行列車が勢いよく通過した時、霧吹が漂っていた正体はこれだったのかな😂
コメントありがとうございます。
『急行が通過する蓮田駅』って、かなり昔の話ですかね?
私も大昔、電気機関車に牽引された茶色の客車の『急行』で、蓮田駅を通過した記憶があります。
まだ、土呂も東大宮も存在しなかった頃の話です。
今では橋上駅舎へと進化を遂げ、アーバンな雰囲気を醸し出している蓮田駅の東西通路では、
自転車モロトモ、エレベーターを使って上がって来た方々が、ワガモノ顔で『券売機』の前を素通りして行きますよね?
私、過去に一度、蓮田駅の券売機の前で、オバちゃんが押すママチャリ(ババチャリ?)に、
危うく轢かれそうになりました。
なんともまぁ~、あそこは恐ろしい駅です。 (…と言いながら、近所なので頻繁に使わせて貰っています。)
追伸‥‥、何故、蓮田の駅前には、東西併せて3軒もの『ファミリーマート』が在るのだろうか…?
(しかもファミチキの味が、微妙に違う‥‥)
まさしく今から40年以上前です。日中は
緑とかピンク色のような列車が勢いよく通過してました。あの頃はあまり気にしていかったのですが、、、なるほどと思いました・苦笑 あと、駅も駅前も当時から変わりました~。ファミチキ!東口ですね (^_^)
東口と言えば『きょうざの満州』ですね。
たまにタンメン、食べてます。 (^^)v
駅周辺にも詳しいですね!😊👍
近所ですから。 (^^)v
おわい船の所で「ツケマイからのまくり差し」に草
うぷ主さん競艇大好きでしょ?
バレました? 映像が反転していれば『第1ターンマークの攻防』チックな画になっていましたよね? 少々残念でした。
因みにワタシは、若い頃の柳沢千春選手が好きでした。まぁ、今はチョット……。これまた少々残念です。時の流れは『残酷』です。コメントありがとうございます。
PS.よろしかったら、コチラ↓をどうぞ。!(^^)!
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@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び 柳沢千春さんは現在も美しい❗️56歳だそうですが。
実はワタクシと同い年……。そしてなんとなく、昔のクラスメイトに似てるんです。もっともその娘には彼氏がいましたが……(因みに、彼氏の名前はイケ〇ミ君ではありません。) なお、現在、ワタクシの職場に『柳沢千春さん似』の方がお勤めでいらっしゃいまして……。退職金を貰うまでは、一先ず、『清廉潔白』を心がけていきます。(冷汗)
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び因みにわたくしは55歳です。1つ下ですね。
こういうトコロで、『同世代』の方と語ることが出来ると、ホッとしますね。お互いに、まだまだ頑張りましょう。(^^)v
すいません🙏爆笑してしまいましたとさ。合宿で信州に向かっている時に窓を開けて信州の美味しい新鮮な空気を吸おうぜとばかり急行列車の窓を開けて顔を出したら( -_・)?んなんだぁ。飛沫だぞぉ。まぁ。鉄道研究所の合宿でしたからね。先輩がこいつショ○○ンシャワー浴びてんぞってね大爆笑を思い出しました。いじめやしごきなんて皆無なサークルでしたけどね。いじりはありましたね。しばらくの間は車内でシャワー浴びたオバカさんといじられましたよ。もう44 年前の話ですけどね。
コメントありがとうございます。
『鉄道研究会』のご出身ですか!? これはこれは、そのようなお方が、こんな動画にコメントを寄せて戴くなど、なんとも恐れ多いことでございます。
昔は、どこの大学にも、そして多くの高校に『鉄道研究会』があって、学際や文化祭などで、結構アチラコチラを巡っておりました。もう40年くらい前の話ですけどね。
そんなことも、今となっては、『古き良き、昭和の思い出』となってしまいましたね。
5:40 SDGsとエスビーカレーの並列は草。。。
コメントありがとうございます。この歳になると、いわゆる『横文字』が苦手になってきます。『インフルエンサー』って、『インフルエンザウィルス』のキャリアーだと思ってましたからね。(^^ゞ もっともっとナウなヤングに負けないように、ソッコーで流行語辞典をゲットしに行きます。ワタシ自身、もっと『ガンバ』です。 (^_^)v
211系て垂れ流し式だったの?
コメントありがとうございます。
スミマセン、冒頭の映像は『フィクション』です……。(ホンモノだったら、ワタシは糞まみれでした……。)
国鉄時代のディーゼル車両、現在の埼京線ですがトイレから線路が見えてたのでヤバイと思ってました。落下物は見た事ないですが当然落下してたでしょうね。
コメントありがとうございます。『国鉄時代のディーゼル車両』って、川越線を走っていた『タラコ色』のヤツですか? もう40年近く前に、川越の『時の鐘』を見に行く時に乗りましたよ。まあ、当時の川越線ならば荒川を渡るところで、『ハイ皆さん、トイレに行くなら、今ですよ。』なんて、車掌さんがアナウンスしても面白かったかも? まあ、これも私の妄想ですが……。
昭和と言う時代が💩と有害廃棄物の垂れ流しの時代だったことを再認識させてくれる動画だ👍
コメントありがとうございます。そして『お褒めの言葉』ありがとうございます。
まあ、あの頃は、何かと『ポイ捨て』してた時代でしたね。私も子供の頃には、ガムの包み紙をポイ捨てして、暫くあとに、今度は噛んで味が無くなったガムを、道端に吐き捨ててました。
なので、還暦を控えた昨今、月一で行う『町内の清掃』に、罪滅ぼしの意味で、時々参加させて頂いてます。(まあ、カミさんが行けない時『限定』ですが……)
本当にS50年代ままで線路に大小たれ流していたとくに下り線
コメントありがとうございます。垂れ流しに『上り線』と『下り線』で違いがあったんですか?
特に『下り線』って、どういう理由なんでしょうか?
まあ、何となく、『上り線』は都会(繁華街)に行く方向ですから、ホテルやデパートや会社やコンビニなどのトイレが利用可能ですが、
『下り線』は、閑散とした街並み(人はそれを田舎と呼ぶ‥‥)方向ですから、ひょっとしたら、トイレの心配をした結果として、
車内で用を足したのかもしれませんね?
ひょっとして、『下り線』って、「お腹が下り気味(下痢)だから…」とかいうシャレですか? (笑)
高野有美さん
あなたの日本語がわからない。
①S50年代 “ままで” → “まで” の誤りか ?
②“特に下り線” →
上りも 下りも同じじゃあありませんか?
下りだけなんて有り得ない。
どうも分からない文章で、アタマが混乱しております 😥😥
osakakawachi
日本は今、あらゆる面で世界有数の “きれい好きな衛生管理のゆきとどいた国” ですよ!
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、今の日本は、正に見た目は、『世界に誇れる衛生大国』だと思っています。
街中も、駅も、公園も‥‥、パブリックスペースは、ホントに、昭和の頃と比較して、美化が進んできましたね。
でも、残念なことに、『精神衛生』という側面では、正直言って、あまり芳しくないように思われます。
その責任の一端は、昭和から、平成、令和と、ここ数十年の時代を作って来た我々の世代に、少なからず存在しているとも思っています。
これからの時代が、物心両面にわたって、衛生的な時代になるよう、残りの人生を頑張ってみようと思います。
さてさて、昭和の代名詞のように言われる開放式便所ですが、実際はJR化後もしぶとく残り続け、最後まで残ったJR西日本管内から引退したのはなんと21世紀に入ってからだそうです!
JR西日本管内でも山陰地方はこれら対策が遅れに遅れた地域であり、私が2000年の夏に出雲~益田~山口と旅したとき、トイレには「停車中は使用しないでください」と明記されていましたし、便器をのぞけば線路が見えました。これら車両が新型に置き換わったのは2001年7月のダイヤ改正のことでした。
コメントありがとうございます。なんとまあ、『昭和レトロ』をスルーして、気が付いたら『平成レトロ』まで来てしまった感じですね。正直言って、この国においては、『都市部』と『地方』の格差は、ちょっと大きい気がします。(どこの国に行っても、そうなのかも?…… って、知らんけど。)
忘れかけていた記憶
そういえば
大阪から福知山線の
旧客車の普通に良く乗ったけどトイレの穴から線路が見えていた?
洗面所の水も薄茶の水が出てたのを思いだした?
昔はトイレタンクを付ける発想は後回しだったんだ
コメントありがとうございます。そう言えば、昔は、洗面所にチープな紙コップ(折り畳み)が、備え付けてあったような記憶があります。
飲むに耐えられる水だったどうかは、今となっては検証できませんが、あの頃は平気で飲んでいたような気がします。
駅弁と一緒に買った『ポリ茶瓶』のお茶も、お茶の風味よりも、ポリ容器の溶けた臭いの方が、強烈に印象に残っています。
あのお茶も、飲むに耐えられるお茶だったのでしょうか? (-_-;)
洗面所前にありましたね?
紙コップつきの飲料水
特急と新幹線だけだったような記憶があります。
特別おいしい水では
なかったですが
来月久しぶりに
特急サンダ-バ-ドに乗って
旅に行くことになりました。
サンダーバードですか!! いいですね (^^) (・_・;)
どこから乗車するんですか?
実は 、私共夫婦は、先々週に、京都から倉吉まで『スーパーはくと』に乗ってきました。(娘が鳥取にいるもんで…)
あれは、正しく『化け物特急』でした。 (・_・;)
こんばんは
ス―パ―はくとに
乗られたんですね?
鳥取まで
やっぱり速くてパワーありますか?
乗ったことは ないのですが
サンダ-バ-ドは
大阪から加賀温泉まで
乗ります。
山代温泉♨️行きますよ
かなり久しぶりに乗りますので今から楽しみです。
大阪から加賀温泉ですかぁ~、羨ましいです (^^)
そう言えば、サンダーバードについての私の思い出は、
『田川踏切』横の、高さ1.2mのガードでのところで、
回送されるサンダーバードの台車と車輪が、目の前を大迫力で通過していった事ですかね。
あれは、凄かった。(^^)v
近所の国鉄の踏切で先頭で待たされる場合は距離を取っていた(顔にペチャ(*_*))酷いことになる 列車が停車している時はトイレは使わないでと言われたな 手でガチャっと開けるドアだったな
コメントありがとうございます。
確かに、昔の東北本線の踏切で、電車の通過を待っていると、
晴天にもかかわらず、
「え!? 雨? 霧雨‥‥!?」
てなことがあった記憶があります。
列車に近づきすぎて、夢中でシャッターを切っている現代の撮り鉄さんたちには、
きっと、信じられない話かもしれませんね。
あの頃は『霧中』で撮っていたんですよ。
私の知る限りは、山陰本線ではたれ流し形式のトイレは既に廃止。
コメントありがとうございます。令和となった今では、さすがに『垂れ流し式』は、ほぼ絶滅状態らしいですね。
山陰本線といえば、私も先日、『スーパーはくと』で【鳥取ー倉吉】 そして普通列車で【倉吉ー浦安】に乗車し、
その翌日には、やはり普通列車で【米子ー松江】そして一畑電車で出雲大社に参拝の後に、『特急やくも』で【出雲市ー米子】を乗車してきました。
まあ、その辺りの動画は、いづれどこかのタイミングでUPしたいと考えていますが、
私が思う『山陰本線』の感想は、「寝るには最高の路線」だということです。
車窓を眺めているだけで、心底、癒される路線です。
JR桜井線が『万葉まほろば線』と称するならば、
山陰本線は『雲州まどろみ線』という路線愛称はいかがでしょうか? (微笑)
すみません、ここで使われているBGM教えて下さい
コメントありがとうございます。後半の曲でよろしいですか? 解説欄にもURLが貼ってありますが、改めてお教えしますね。
【フリーBGM】ヒーローもの・戦隊ものパロディ「正義のヒーローここに参上!」 【自主映画サントラ】 ~MOMIZizm MUSIC / もみじば~
です。(^^)v
もし、『ちげーよ』というなら、またコイメントください。(^^ゞ
ありがとうございます。
前半の曲も教えて頂ければ嬉しいです。
ちなみに私も国鉄時代で東北線(現・宇都宮線)のトイレから見える線路に妙な興味を持っておりました。
前半の曲は クラシックでは結構有名な ベートーヴェンの『月光』です。
これ↓です。
ruclips.net/video/MbpqyaAZjL8/видео.html
PS. 実は私も『さいたま市在住』で、実家は『宇都宮市』です。なので今でも『宇都宮線』と言うよりも、つい『東北本線』と言ってしまいます。『急行つくばね』や『急行おが』『特急ひばり』や『特急はつかり』が、颯爽と走っていた頃が、今ではとても懐かしいです。(^^)v
度々ありがとうございます。
両親の実家が宇都宮で帰省は「急行なすの」でした。「急行つくばね」間々田停車で小山の短絡線でしたね。
「ひばり」「はつかり」「おが」懐かしいですね。
ご丁寧な返信、ありがとうございます。今後、機会がありましたら、それらの『懐かしい列車たち』も、ネタにしたいと思っております。(^_^)v
駅のトイレは最悪でしたね
男子の小は 便器も衝立もなく コンクリに向かって する 大のほうは当然和式だけどする気もしなくなる
コメントありがとうございます。そうそう、思い出しましたよ。確かに壁に向かって用を足していましたよ。そして、上流から自分の爪先の方へと、隣人のオシッコが流れて来るんですよね。他人のオシッコと自分のオシッコとが、目の前で混然一体となって融合して、下流にある『茶褐色に縁どられた排水口』へ吸い込まれていく……。懐かし光景ですね。(笑)
5トンの大便をばらまくから、ゴトンゴトンとか音がするのですね。
『上手い!! 座布団10枚』って、昭和のノリでごめんなさい。でも、思わず笑ってしまいました。コメントありがとうございます。
タイ国鉄の非冷房車両はまだ垂れ流し便所。車体構造はいわゆる旧型客車と一緒。冷房付き一等二等は新しい客車はタンク付き。でも僕は窮屈な令和より昭和末期平成初期はええ時代でしたよ
コメントありがとうございます。
『でも僕は窮屈な令和より昭和末期平成初期はええ時代でしたよ』 同感です。
あの頃は、世間全体に『ゆとり』らや『遊び』があったような気がします。
個々の表現や生き方の『ブレ幅』に世間は寛容であり、許容範囲も大きかったような気がします。
どうも私的には、『ゆとり教育』を行って以降、社会全体に『ゆとり』が無くなってしまったような気がしています。
どうも『昭和生まれ』は、画一的な統制社会には、どうしても馴染めません。
情熱の朱 哀愁の青 今、混ぜながら夢の世界へ……
幼い頃の記憶に刻まれた、妙味のあるカオスな憧憬が、心なしか懐かしく思います。
タンク式トイレも壊れたら話にならないのである意味では垂れ流しトイレのほうが有利な場合あり。
コメントありがとうございます。まあ、『トイレが無い』よりは、あった方が良いですよね。JR東海さん、そういうコトなので、宜しくお願いします。
むかーし、113系の便所は線路が見えてた気がする
コメントありがとうございます。そうです、『むかーし』の話のつもりで、私もこの動画をUPしたんですが、他のコメントを拝見すると、何やら結構最近まで、『垂れ流し』してたみたいです。まあ、初老のワタクシの『最近』という感覚は、ほぼ過去20年前くらいまでを指しますが……。(笑)
私と同じ昭和世代(昭和33年生まれです、私は。)の人は、みな同じ経験をしていらっしゃるのですね。懐かしいやら後ろめたいやら複雑な気持ちですね。
コメントありがとうございます。ワタクシも、これほど『同世代』の皆様からコメントを頂けるとは、全く思っておりませんでした。(ど底辺RUclipsrですので…汗&笑) 何と無くですが、このコメント欄が、昭和生まれにとっては、これまた懐かしい『駅の伝言板』みたいな感じで、ちょっとオモシロイです。(^_^)v
大井川鉄道では今でも現役だぞ 鉄道唱歌大井川鉄道いってみよー
オンボロ客車にごとごとと揺られてお腹が働くよ 当然もよおす世の定め慌てて駆け込む厠へと
線路の見えるその上でブリブリひりだす三日分 日本中で愛される川根のお茶へ香りづけ♪♪
実は大井川鉄道には、台風の被害を受ける前にロケに行ってました。『道の駅川根温泉』の近くで、トーマスの通過シーンを撮影したのですが……。大井川鉄道が全線復旧するという吉報を耳にした時に、大井川鉄道関連の動画をUPしたいと考えております。コメント、ありがとうございました。
これが故に保線関係職員は勤務中の入浴が労使協定で保証されていた。それは決して怠惰では無い。集約型労働に於ける感染症対策であったのだ。
然しながら国鉄末期、マスゴミ総バッシングを受けた煽りから使用者側による浴室締め出しが行われ、一方的な協定破棄・職場闘争による労使荒廃へと繋がるのであった。
コメントありがとうございます。私もかつては『総評系』の活動経験がございます。当時としては、さまざまなイデオロギーの対立や、主義主張の隔たりがあったことから、米資本の介入工作を許してしまい、結果として『労働戦線の統一』が果たせずに、正直、砂を噛む思いをしておった一人です。そして今、思います。『昭和は輝いていた』と……。、
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び
総評系でしたか、ご苦労様でした…仰る通りで、労労対立を続け産別化へ脱皮出来なかった事は現在でも尾を引いています。
以前、旧職場の助役(鉄産労→連合系)と対談した際も「産別化しないにせよ、組合が大同団結して政治の方は民社党一本で行けば安泰だった筈」と話していましたが実際のところ如何でしょうか?
ぼかしますが私は現職で、今は全労連・全労協系に両肩を預けている全国組織の者です。
コメントありがとうございます。そこまでお話を聞かせていただけて、大変、恐縮しております。
私も以前は、『旧・総評』『公労協』から『連合』へと移行した組織に在籍しておりました。定年間際の身の上ですので、敢えて大胆に言わせて頂ければ、多分、『連合』という巨大組織が、『組合員を守る事』を蔑ろにして『組織を守る事』に心血を注いだ結果が、今日の日本の『歪んだ産業構造』や『壊滅的な経済財政状況』を招く大きな要因だったと思っております。
『賃上げを第一義的に要求してこなかった連合』『本工主義に徹して、非正規社員をオザナリ(ナオザリ?)にした連合』……
日本最大のナショナルセンターが、こんなザマですから、この国は救われませんよね。
しかし、それだけ『組織維持』に傾注せざるを得ない状況の根底には、戦後から続いていた『労労対立』の根っこが、あまりにも深かった事が起因していると思っています。
「終戦後に進駐したGHQによって、民主化の一環として労働組合なるものが日本全国に誕生した。」と、歴史の教科書には書いてありました。一方、東アジア進出を目論んでいた当時のソ連は、終戦末期のドサクサに紛れて日本に対して食指を伸ばし始めると、その足掛かりを構築する為に、シベリア抑留者に対する徹底的な『洗脳』行ってから、日本本土へ『引揚者』という体裁で、後に左翼運動の活動家となる『社会主義者』を送り込んだと言われています。
ある意味、
「戦後から続いていた『労労対立』などというものは、言わば『東西冷戦時代』の米ソによってもたらされていた!! 」と、
私なんかは思っています。
そしてそれに『気づくか?』『気づかずか?』は 別にして、今現在でも「労働者は、考える事を封殺されたまま、ただ搾取され続けている。」という状況が、悲しいことに、ずっとずっと、続いているのではないでしょうか?
長くなってスミマセン。定年間際のジジイの愚痴だと思って聞き流してください。 (笑)
でも、昭和の頃には、『春闘』などのデモで日比谷あたりの道路を行進していると、必ず機動隊が隣りにいたものですが、今では、交差点あたりに女性警察官がマイクを持って、「デモ隊のみなさ~ん、信号、守ってくださいね~。」と、カワイイ声で囁いてるんですよね!?
世の中、変わりました。
まあ〜昭和の良き時代と言ってもね〜😅
たぶん今の若い人には絶対に無理だな!
トイレなんて和式それも場所によってはボットン副産物としてはハエがブンブン
臭いもブンブン綺麗だなんて二の次!
まあー高級ホテルでも今の人のレベルでは無理だろな〜
もちろんシャワー付きなんて無いし消臭剤の臭いもきつい!
見たくれで憧れるのはいいけど現実はハンパ無く甘くないぞ!
コメントありがとうございます。そういえば昔は、自宅のトイレの便槽(穴)に、直接、消臭剤を投入していましたね。
確か『シャット』という商品名だったと記憶しています。テレビのCMでも観た記憶があります。
CMと言えば、やはり昔、農機具のCMに桜田淳子さんが出ていましたよね。当時、ワタシは、『百恵ちゃん派』ではなく『淳子ちゃん派』でした。
懐かしい記憶を呼び覚ましてくれたコメントに、感謝いたします。 m(_ _)m
駅のトイレも凄く汚く臭かった。野糞が当たり前の時代だったから
コメントありがとうございます。最近は、ホントに綺麗なトイレが増えましたよね?
昔は『綺麗なトイレ』といえば、デパートやホテルのトイレくらいでしたもんね。
まあ、今でも、公園のトイレや地方のスーパーのトイレは『それなり』のところもありますが・・・、
コチラは『お借りする側』ですので、感謝しながら使わせて頂いております。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び そうですね、自分が用をする時に汚かったらとても気分が悪くなるので、後の人にも気分良く使って欲しいので、綺麗に使用したいですね、今はどこにもコンビニが有るので有難いです。学校のトイレもポッチャンだったけど、当時は当たり前だったのでトイレはこんなものって感じだったかな?
@@kamon535 確かに『コンビニトイレ』は、頻尿の私にとっては、本当に有り難いです。でも、どうしても『タダ』で利用させて頂くのは気が引けるので、必ず『缶コーヒー』を買うことにしています。……そしてまて、トイレが近くなる……。 エンドレス (-_-;)
もしかすると飛行機も垂れ流しだったかもしれない
コメントありがとうございます。
確か飛行機も、昔は『垂れ流し』だったと聞いています。
まあ、飛行機ならば、オシッコならば『雲散霧消』するでしょうし、そもそも、飛行機が飛び始めた頃の利用者数も、それほど多くはないと推察できるので、
例え『大小垂れ流し』だったとしても、『被害』としては、計上されるには至らなかったのではなかろうかと推察しております。
とはいえ、近年では、羽田空港へのアプローチコースとして、首都上空の通過が可能となりましたが、きっと、多くのビジネスマンが働いている大都会のお空の上では、パンツを降ろしてウ〇コをひねり出しているオッサンとかがいるんでしょうね?
門司港駅のトイレは、昔は、水栓の変わり、ドブネズミが、処理していましたね😂
コメントありがとうございます。昔はそんなこともあったんですね。
外国では、トイレに豚を放し飼いにしていたトコロがあったことは知っていますが…。
『チューチュートレイン』ならぬ『チューチュートイレ』ですね。
浪折裕一
「水栓のかわり」って意味不明。
ステンレス製の便器
駅と特急列車にあるね。
コメントありがとうございます。
実は、このサムネのトイレは、近鉄のアーバンライナーのものです。(サムネ詐欺チックですみません)
懐かしさのあまり、つい、撮影しちゃいました。
多分、この画像がなかったら、この動画も制作して無いと思います。
そして、このように、皆さんからのたくさんのコメントも、戴くことが叶わなかったと思います。
そう考えると、近鉄特急のトイレとの『一期一会』に感謝です。
@@猫解電鉄にゃんかいでんてつ飛び さん
昔の0系新幹線のステンレス製便器と青い薬液入り排水が印象に残っています。
ステンレス製だったが故に、子供の頃は、町中の洋食屋さんのカレーライスに、かなりの抵抗感がありました。(笑)
あと昭和時代の方が格段に治安が悪かったです。「旅に出たら現地の高校生からのカツアゲ(恐喝)に注意しろ」と言われていましたから(勿論日本国内での話)。通学時も平気で車内でタバコ吸っていたり・・・。
コメントありがとうございます。私の高校時代ですが、通学時間帯の『とあるローカル線』に、たまたま乗った時ですが、号車によって『真面目学生』『ワル学生』が分かれていました。その時、私は『ワル学生』車両に乗ってたのですが、車内の高校生は、全員が制服のままでタバコを吸っていました。『昭和』って、そんな時代でしたよね。(笑)
今から40年以上前の子供の頃、群馬の親戚の家へいく際にいつもの急行りょうもう号ではなく準急で移動した時、どこの駅かは忘れましたが、地元の高校生集団が乗ってきて、当たり前の様に車内でタバコを吸っていた光景に驚いたな。車両は今でも現役の通勤型8000系でした。乗務外移動中の東武の運転士か車掌も制服姿で客室にてくわえタバコしながらスポーツ新聞を読んでいたのも。後から知ったのは当時の東武鉄道では郊外区間になると通勤型車両でも車内喫煙可能だった事。
私が体験したのは、両毛線において、高校生が堂々と喫煙していました。(佐野と足利の間あたりだったかな?)
今からもう、40年以上も昔の話ですがね。
そして東武宇都宮線の運転士さんは、その昔、座布団と少年サンデーを抱えて運転席に乗り込んでいましたね。
勿論、運転席の横と後方は、遮光幕等で外界と遮断していました。どうやら東武の車両の運転席は、『マン喫』の元祖みたいですね。
もう半世紀前の話ですが…。
惑星の大便者に聞こえてしまったw
コメントありがとうございます。
この動画を、6分以上もご視聴いただき、誠にありがとうございます。
『あっ!!』 『オイ!!』 『わっ!? 臭ぇ~!!』の代弁者として、感謝もうしあげます。
俗にいう直下式だったもんな🙄💬
便器の穴の中から線路が見えていたという🙄🙄🙄
コメントありがとうございます。お尻から出したウ〇コが、絶妙なタイミングでポイントのトングのところに挟まったりしたら、切り替わった瞬間にグニュッと潰されてしまうのか……。などど、変な想像をしてしまいました。(笑)
上野駅のホームは列車が出るとウンチてんこ盛りだったと聞いた
確かに停車時間が長い駅では、その分、車外へ放出する排泄物が増えますよね。『停車中はトイレを使用しないでください。』という注意書きも、襲い来る強烈な便意には、何らの抑止効果も無いですもんね。でも、そんな上野駅のホームでも、13番線にあった『立ち食い蕎麦屋』は、けっこう美味しかったと記憶しています。コメントありがとうございます。
そうですよね。線路がみえましたもんね。垂れ流しですよね。昭和はよかったぁ。
コメントありがとうございます。
ちなみに、サムネで使用した『和式トイレ』は近鉄の名阪特急のモノです。近鉄さんの名誉の為に書き添えますが、もちろん『垂れ流し』ではありません。
でも、『トイレはステンレス』と思っていましたが、近鉄さんのは『陶製』に見えますよね?
オールドスタイルの『和式』にもかかわらず、何故か『斬新』で『スタイリッシュ』に見えてしまいました。(笑)
雨の日のアンダーパスなんて最悪でした。
いや~、『雨の日のアンダーパス』ですか………。想像しただけでも、背筋が寒くなりますね。ホント、想像したくないですよ。
ましてや、ヌメ~っとした湿気がカラダ中にまとわりつく、蒸し暑く鬱陶しい梅雨の頃なんかじゃ、スエたような、腐ったような、発酵したような、吐き気を誘う不快極まりない『臭いの粒子』が、鼻の粘膜を刺激しながら、自分の肺の中に入ってくるなんて……、いや~、ホント、想像したくないでね。コメントありがとうございました。
最初の警告分通りに食事中に見る物では無いわ( ;-`д´-)
カレーライス食べている時にう◯この話をするパターンに似ている
コメントありがとうございます。
小学校の給食でカレーが出た日は、クラスの男子全員で『ウ〇コ』の話をしてた記憶があります。そんな時代でした。 m(_ _)m
昔の鹿は線路なめてたんかな?
コメントありがとうございます。『塩分』や『ミネラル』の補給には、ひょっとしたら役に立ったかもしれませんね?
鹿などは、山奥の寺や社の柱などを嘗めてるなんて話も、どっかで聞いたことがありますからね。
まあ、自分の尿を飲む『飲尿療法』なるものも、巷では結構(?)浸透しているみたいですので……。でも、他人様の『糞尿』は……、ちょっと……、勘弁ですね。
3:22 チクビーム末期色
乳腺炎の悪化? コメントありがとうございます。(返信しづらいですが……汗)
昭和がいい時代だったはずがない。喫煙者は今とは比較にならないくらい多く、教師や親の子どもに対する暴力は当たり前とされ、道を歩けば犬猫の糞がいたるところに落ちていて、もちろん飼い主が持ち帰る習慣など無く、ごみのポイ捨ては子供から大人に至るまでごく普通に行われていた。排ガス規制など実施される前で、幹線道路を30分も通行すれば顔が真っ黒になった。特に大型のディーゼル車がひどかった。毒性の高い有鉛ガソリンまで使われていたくらいだ。当時の建築物や工業製品にはアスベストが大量に使われていて、処分する上で大問題になっているが、体温計には水銀が使われていたりPCBが電気設備を含むいたるところに使われていたことを考えれば当時は今の中国並みに規制が緩かったと言えるだろう。
コメントありがとうございます。確かにおっしゃる通りです。昭和の頃の日本は、特に『高度経済成長期』の頃などは、現在の中国を批判できないほど、『何でもアリアリ』の時代だったのではないでしょうか?
そして、もう少し時代を遡れば、私達が住んでいるこの国は、300万人以上の犠牲者を出した『半ば自暴自棄な戦争』をしていた国なんですよね。
多分、私などは、もう『昭和の生活』には戻れないでしょうね。『薪で沸かす風呂』や『井戸から汲み上げる生活水』、『エアコンの無い真夏の猛暑』『ファンヒーターの無い真冬の朝』など、正直言って、そういう生活に戻ることは、もう無理かもしれません。
そう考えると、令和になった今現在も、決して『いい時代』とは言えないのかも知れませんね。
昭和に生きた人達はそんなことはだれでも知っている。キミにそこまで細かく言われなくても。
そんなに日本を卑下した書き方は不愉快だ。
大事なことはその時々に世界のレベルと日本を比較しなさいと言いたい。
フランスが世界有数の「香水」生産国になった理由を知っているかい?
昭和の悪口をここまで書く前に、じゃあおなじころ世界の衛生管理状態等はどうだったか考えてみなさい。
当時仕事で先進各国をめぐる機会が何度もあったが、世界の現実を見れば、日本の水準は高いと感じたのは私だけではないと思う。
そこまで自国(ひょっとしてあなたは外国の方?) を貶(おとし)める必要があるのだろうか?
先々週、23区内の駅で久しぶりに和式トイレ使ったわ
錦糸町駅。洋式と和式が半々で、洋式だけが変に不自然に汚されてた。
急速な周囲の再開発に、駅の整備が追い付かないのかなぁ?
何と無く、地方(田舎)に行くと《和式率》が高いような感じがしませんか? あと、京都も結構《和式率》が高いんですよ。三条駅なんかほぼ和式オンリーでした。なので、「京都って、結構『田舎』なんだなあ~」と、カミさんに言ったら、「この辺りは、着物を着る人が多いから、わざと和式トイレが多いのよ。」と、蔑まれた目で、冷たく呟かれました。コメントありがとうございます。